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平家物語 巻第九 木曾最後 抜粋

 木曾殿は、信濃より、巴・山吹とて二人の便女を具せられたり。山吹はいたはりあツて都にとどまりぬ。なかにも巴は、いろしろく髪ながく、容顔まことにすぐれたり。ありがたきつよ弓・精兵、馬の上、かちだち、うち物もツては鬼にも神にもあはうどいふ一人当千の兵もの也。究竟のあら馬のり、悪所落し、いくさと言へば、さねよき鎧きせ、おほ太刀・つよ弓持たせて、まづ一方の大将には向けられけり。度々の高名、肩を並ぶるものなし。されば今度もおほくのものども落ちゆき討たれる中に、七騎が内まで巴は討たれざりけり。

 五騎が内まで巴は討たれざりけり。木曾殿、「おのれはとうとう、女なれば、いづちへもゆけ。我は討死にせんと思ふなり。もし人手にかからば、自害をせんずれば、木曾殿の最後のいくさに、女を具せられたりけりなンど言はれん事もしかるべからず」とのたまひけれども、なを落ちもゆかざりけるが、あまりに言はれ奉て、「あツぱれ、よからうかたきがな。最後のいくさして見せ奉らん」とてひかへたるところに、武蔵国に聞えたる大ぢから、恩田の八郎師重、参騎ばかりで出できたり。巴その中へ掛け入、恩田の八郎におし並べてむずととツてひき落し、わがのツたる鞍の前輪にをしつけて、ちツともはたらかず、頸ねじきツてすててンげり。其後、物具脱ぎ捨て、東国の方へ落ぞゆく。

 

源平盛衰記 抜粋

 木曾の内には、今井、樋口、楯、根井、此等こそ四天王と聞しに、是は今井、樋口にもなし、さて何なる者やらんと問ければ、成清、あれは木曾の御乳母(おんめのと)に、中三権頭が娘巴と云女也、つよ弓の手だり荒馬乗の上手、乳母子(めのとご)ながら妾にして、内には童を仕ふ様にもてなし、軍には一方の大将軍して、更に不覚の名を不(レ)取、今井樋口と兄弟に〔し〕て怖しき者にて候と申。畠山さてはいかゞ有べき、女に追立られたるも云甲斐なし、又責寄て女と軍せん程に、不覚しては永代の疵、多者共の中に、巴女に合けるこそ不祥なれ、但木曾の妾といへば懐きぞ、重忠今日の得分に、巴に組んで虜にせん、返せ者共とて取て返し、木曾を中に取籠て散々(さんざん)に蒐、畠山は巴に目をぞ懸たりける。進退き廻合ん/\と廻ければ、木曾巴を組せじと蒐阻々々て、二廻三廻が程廻ける処に、畠山、巴強ちに近く廻合。是は得たる便宜と思、馬を早めて馳寄て、巴女が弓手の鎧の袖に取付たり。巴叶じとや思けん、乗たる馬は春風とて、信濃第一の強馬也。一鞭あててあふりたれば、冑の袖ふつと引切て、二段計ぞ延にける。畠山、是は女には非ず、鬼神の振舞にこそ、加様の者に矢一つをも射籠られて、永代の恥を不(レ)可(レ)残、引に過たる事なしとて、河原を西へ引退き、院(ゐんの)御所(ごしよ)へぞ帰参ける。

 木曾は此彼を打破て、東を指て落行けり。竜華越に北国へ伝とも聞けり。長坂にかゝり、播磨へ共云けり。其口様々也けれども、大津へ向て被(レ)打けるが、四宮河原にて見給へば、僅(わづか)に七騎に残たり。巴は七騎の内にあり。生年二十八、身の盛なる女也。

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