食道癌                       再発編(手術)

1998年10月

                                      川上好夫編
前書き
    病気入院より数年たって 入院の記録を読んで見ると 人間の生き様が こんなにも露骨に出ている
    けして彼らの悪口をはらのそこより 言っている訳ではない 病気を乗り切るために 気を向けているの
    だろう 原文のまま載せようと思ったが 固有名詞はさけた 意味不明の所は副作用との戦いと思う。
         入院5ヶ月半の食道癌より生還の記録です 気を長くしてお読みください。。。
                                                             管理人プログ 「ザ‘‘信州ダッシュ」

                                      「信州 花花花」                                                   

           病気
 こんな楽天的な 何も考えぬ人間でも 病気には勝てぬ 平成10年は春から 医者にかかりきりであ
る 不整脈 なんともいやな気分になる 正確な病名は 慢性心房不整脈 である 原因は酒の飲みすぎ
不摂生な生活である 言われてみればその通り 春のお祭りで不整脈が出てるときに酒を飲みすぎた そ
こで色々治療したがよい結果がでない そこで DC すなわち電気ショックである 心臓の止まった人に
蘇生させる時につかうこいつが いいという事で 2〜3回試みたが直んない そこで掛かり付けの岸医院
に DCのあとすぐ 入院静養ということにした 結構調子いいもんで 今年はカメラを飲んでないからと
検査する事にし その後出ようかと 結果 食道癌。。。。。   すぐ佐久病院に紹介状をかいてもらい 入
院の手続きをした   当日忙しくタオルやら 着替えやら チェックをして病院へ なんとも暗い雰囲気と
思っていたが 意外に部屋の中は にぎやかで明るい 内心ホッとした   一週間は検査入院との事 今
まで経験のないような 検査がつづく 自分の病気が直るなら どんな事も愚痴を言わず医者の言うとおり
になる 結果「第二期の食道癌」と言う事 わかっていても またこの言葉を聞くのが恐ろしい 俺は40歳
から 人間ドックを今年まで かかさず 受けてたが 残念なことにみつからなんだ  来週より 放射線
抗がん剤 の治療が毎日つづく 何とか元気な身体が 復活できる事を 夢にみ がんばりたい 廊下では
看護婦さんのさわやかな「がんばってね」と言う 言葉が聞こえてくるような 気がする。。。。。
                    佐久総合病院にて   川上好夫   49歳

 


平成16年1月28日 書込み
 当管理人のかかり付けのDrが昨年開業しました 住所 長野県佐久市大字三塚191−36
   胃腸科 内科 外科 肛門科 TEL 0268-64-0650
      都甲クリニック URL http://www.togo-clinic.com
   食道癌でお悩みの方一度電話して相談してみてはいかがでしょう。
10月7日(水)  

 

我が家に 仕事終了より 中山家 中沢家 山岸家 寺島家 など集まり 送別 会ならぬ 激励会を盛大に行

う 友人と言う者は ありがたいもんだ ちなみに 10/7 は女房との結婚25周年でもある 昔が思いだされる
10月8日(木) 午前中 佐久総合病院で診察を受ける 間違いなく「食道癌」である 又俺に嫌いな言葉一つインプットされる
「癌」である 検査のため 10/12 より入院との事 そう言えば 昨日 寺島健二君が 奥さんとの20年前の
出会いを話した ”人目ぼれ”だと よくもぬけぬけと言ったもんだ 確か昔 東京へ行けば ”俺は洋子命” と
言って 吉原へいかなかった ひとそれぞれで有るが 不思議な人もいたもんだ。
10月12日(月) 朝10時より 家を出発 武井さん夫婦が影ながら見送っていた 深山峠で 涙が出てしかたない 無事帰れる
のか お昼より 心電図 胸部レントゲン その後 麻酔をかけ 食道 胃の内視鏡を行う 今まだ頭がボーと
している 麻酔のせいとの事 明日は9時以降の食物は食べていけないようだ まだ検査の段階 治療に な
ると 毎日が大変のようである 山 川 をとぶ時が一番楽しい 明日からの目標は 看護婦さんの名前を 覚
えたい!
  病状説明記録            患者   川上好夫  殿
                     同席者            
  [病名]    食道癌
  [治療]        
          ○ 開胸開腹食道亜全摘胃管再建術       1.5月
          ○ 放射線                       2月
          ○ 科学療法 (抗癌剤)               4月
                 食欲低下
                 脱毛            副作用 プラス
                 白血球 ↓
                 血小板  ↓
          1990年から開始している
  [精密検査]     約 一週間入院
 
 以上説明いたしました。 10年10月8日        佐久総合病院  胃腸科
                                  説明医師 小山 恒男
          入院診療計画書
                 7東   病棟   川上好夫  殿
 1.入院時診断及び症状 :    食道癌
 
 2.他に考え得る病名   :
 3.治療計画 (検査.手術内容及び日程を含む) :
    精密検査のため 入院していただきます
    10月15日 16時から結果をご説明いたします
    ご家族の方いもご説明しますので 15日16時に ご来院ください。
 4.推定される入院期間 :     約 4 日
   平成10年10月12日
          佐久総合病院 胃腸 科      主治医   小山 恒男 印
10月13日(火) 朝久々に ゆっくりと寝た 昨日の麻酔のせいと思う 朝より検査が始まる 胃〜肝臓など超音波の検査
午後より腸の内視鏡検査の予定 12時頃より始める 大腸の中はとてもきれいだった 全部俺の目で見れる 
検査はとても安心する 少し赤膚になっていたが 何もないとのことだ 青い薬をかけたが ちゃんと青くなった
ので安心した 組合の事業報告をまとめる 柳沢でもきたら渡して 服部にやってもらう つもりだ あと 
ワープロがあれば スタンドがほしい なにせ病院は暗くて陰気だ やっと夕食が食べられる 体の調子が
良いと何たべても 美味い 病院の夜は何せ早い PM 9:00にはみんないびきをかき 寝てしまう
テレビも9:30には切れてしまう まったく つまらぬ生活をしている。
10月14日(水) 朝6:30に目を覚ます 本日は朝飯を食べる事が出来る 病院に来て 初めてである となりの人たちと話
がはずむ 抗がん剤の話をする3日点滴をして 15日休むようだ 俺もそれを する予定だ 点滴の3日は
死んだようにつらいそうだ その方も4ヶ月の入院との事 15日PM4:00の結果を聞きに健ちゃんもくるようだ
あまり迷惑ばかり掛けてすまない気もする 1日中暇だ 15:50より胸部より下腹に掛けてCTの検査をした
血管注射を4回さされた 注射のへたには つくづく嫌気がする 夜バリュウムのせいか 腹がはる 下剤を
もらい飲む 10時ごろより聞いてきた 11:00ごろまでトイレにいき なんとか腹のはりは取れた 明日の
検査で終わり いよいよ結果がでる
10月15日(木) 今日で最後の検査だ バリュウムを食道へ入れてカメラで撮る 小山 友利 両先生付きりの撮影だ PM2:00〜3:00
までかかった 鼻から管をいれ 食道をふくらまして撮る検査もした PM4:30 睦子 貴光 中山健ちゃん 3人と医者(小山) 
より検査の結果を聞いた 初期の癌と言う事だ よくよく説明を受けた 岸先生に早く見つけてもらったのが 幸いした 小山
Drの話では あと半年で 5分5分の命だという まったく恐ろしい病気だ 来週より治療に入る
 
  10月         19日   20日   21日   22日   23日
               ◎★   ◎★    ◎★   ◎★    ◎          ◎ 印 放射線治療
               24日   25日   26日   27日   28日
                            ◎     ◎     ◎          ★ 印 抗癌剤治療
               29日   30日   31日
               ◎     ◎     ◎
  11月          1日    2日   3日   4日   5日
                                 ◎    ◎
                6日    7日   8日   9日   10日
                ◎      ◎         → 中間検査

                             11日   12日   13日  14日  15日

                内視鏡 CT 超音波 レントゲン通し(食道)
                16日   17日  18日  19日  20日
                ◎★   ◎★   ◎★   ◎★   ◎
                21日    22日   23日   24日  25日
                              ◎     ◎     ◎
                26日    27日   28日   29日   30日
                ◎      ◎                  ◎
  12月           1日     2日   3日    4日     5日
                ◎      ◎     ◎     ◎
                 6日     7日   8日    9日    10日
                        検査 内視鏡 CT 他
 その他あいている日は すべて点滴だ これでだめな時は 切るしかない。。
10月16日(金)    

 今日は 血液検査2回と 小水をためる事が一日の仕事である 体は元気その物である 徳島の源さんと信毎へ手紙

を出す 夜9:00に病院を出て家に日曜のお昼まで 帰る予定 PM1:30 下村圭三さんが夫婦で見舞いに来てくれた
頭の方へ癌が飛んで 大変なようだ 俺も癌がなおったら 癌クラブでもつくらにゃ− 今から郵便を出しにいく PM3:00
放射線のあてる場所をマジックで位置決めする 12月はじめまで かかるようだ PM9:00家に帰る 9:50頃家につく
 貴光 睦子 が迎えに来る すぐ中山夫婦 松崎が12時ごろまで 話をしていく。
10月17日(土)  

 朝早くより仕事が忙しい 半日は3人で立ちっきりだ どうも貴と睦子では 乗り切れそうもない 夜山岸夫婦が来る

従業員の中沢君を 土 日 祭日 店に貸してくれるそうだ 一日一万という事で 話をする あまり家では 酒を飲まなく
なり つまらぬ 気を使っているのか 後中沢夫婦がくる 12:00すぎまでいる 無駄話をして帰る 良子も昼間来た
友人に感謝すべきである AM1:00ごろ寝る。
10月18日(日)  

 朝久々にゆっくりと寝る 畑を一周した はくさい キャベツ などまずまず良い なめこも少し出始めた お昼病院へ

向かう途中 すしを食べ 3時ごろ病院へ着いた 山下君が見舞いに来てくれた すぐ小山先生により 胸の鎖骨の下
静脈へ点滴の管を通す 心臓のそばまで 入れるそうだ 麻酔をしたので さほど痛くない 肩が少しはる 夜眠いが
寝てしまうと 夜中に眠れないので むりして起きている 手紙でも書くか。
10月19日(月)  

朝 中沢 西野さんへ 手紙を出す パジャマが熱い 睦子に文句を言う AM9:00より点滴を始める  放射線は

10:40から6000何とかを 一日200づつ30回あてる 点滴(抗がん剤)は24時間4日間続く 百江がきてくれた
検査がからんだもんで 少しの時間だけど 話ができて 安心した 百江も大変だ 午後石塚がきた 夫婦 子供
ゆっくりしていった その後池田夫婦で来た 友人はみなよくな人々だと思う  今日あたりまでか 元気で居られるのも
 午後山越が何か持ってきた どうもあいつは くればすぐ帰る話ばかり どうもいかん その後すぐ光っちゃんが夫婦で

             来た ゆっくり話しをしていった 気が知れてるのか 気が休まる 売店で食べ物を仕入れて来た 明日は本当に

  食べ られないという事だ。
             ○  抗がん剤   1000cc 24時間
             ○  その他     副作用防止 2時間 5本10時間
             ○  AM10:00ごろ 放射線
                                    明日も続く
10月20日(火)  

 朝6:10に目がさめた 体全体がだるい 感じがするのは 気のせいか 不整脈が踊ってきた 心臓の調子が気に

かかる 今日は朝 胃カメラがあり その後24時間の点滴が始まる どうも具合が優れない どこも悪くないが 具合
が悪い 朝 志賀さんと本道に手紙を書いた S がきた いやな顔を見 具合の悪さが一層増す 下村貫ちゃん夫婦
がリハビリをかねて 来てくれる 色々話をしていく
             ○ 抗がん剤  1000cc
             ○ 他      3本
             ○ 放射線
10月21日(水)  

朝より 気分が良くない 朝食はゼロ 昨日部屋の方にもらった ヨーグルト一本 飲んだきり 抗がん剤が3本目

に入る 又今日も具合が悪いのか 大便がおとといの朝 最後に出ない それもあるか 昼前下剤をかける ウサギ
の糞ぐらい でた その後松崎俊ちゃんが来た 少し話しをし すしを持ってきたが 食べられず持ちかえってもらう
昼飯は半分ぐらい食べた 昨日よりは身体の調子は良い 6:00ごろ健ちゃん夫婦が来た 一時間ぐらい話をして
いった 山の話で楽しかった 又見舞いを持ってきた 睦ちゃんにTELして聞いてもらう 後7週の内 3日が終わった
だけ 又いやな明日が来る
              ○ 抗がん剤   1000cc
              ○ 他        2本                    
              ○ 放射線
10月22日(木)  

昨晩のトイレには まいった 5回もいった 寝不足である 朝浅間山に雪がきたとの事 寒い訳だ 昼食も駄目だ

匂いをかいだだけで 食欲ゼロ 明日外出許可は出るが具合がどうか よければ帰るつもりだが 午後トイレで 目
まいがする 心電図の24時間のテープをつける 食欲ゼロ どうしょうもない 明日の帰宅はダメだろう 具合が悪い

 10月23日(金)

 朝から具合がよくない 家にかえっても食べ物はだめだ 今日帰るのはやめる 明日にしよう 健ちゃんの持って
きてくれた バナナ1本食えただけ お昼ごろ心電図のテープがはずれた 抗がん剤も今日はずれた 身体の回復
の点滴も今日2本 明日1本で2週間はずれる ホッとする あとは毎日放射線の治療である 昨日より具合が少し
でもいいのが助かる PM1:30点滴がとれた 自分の回復力をまつばかり 明日1本で今週は終わり どうも睦子が
かぜをひいているようだ
10月24日(土)
 土曜日の朝は さわやかに迎えた 抗がん剤が切れたからと思う 朝点滴をして家に帰る予定 加々井が迎えに
くる ちょっと身体が重いが帰宅する 家に着き次第 仕事を2〜3人やらされる 夜中山夫婦がくる 山の話やら
で話がはずむ マツタケもだいぶ取れたようだ
10月25日(日)
 食欲がだいぶ戻った 夕方には普通に食べられるようになった 仕事も少し手伝った 北沢君もぼちぼちなれて来た
ようだ 大分助かる 山岸には 迷惑をかけ申し訳なく思ってる
10月26日(月)
 朝風呂にはいる 気分は最高 AM8:00病院へ出発 9:00前に着いた すぐ放射線の診断 治療 その後
循環器へいき 不整脈の検査をする 食道癌が治ってからという事だそうだ 薬も少しは考えているようだ
昼すぎ 小林(ライブ)がくる まんがを持って来てくれた 丸山夫婦も来て花を持ってきてくれた 中沢夫婦も来た 
さやかもまた いくらか綺麗になったか 4:00ごろ帰る 病院の飯も食べられる 抗がん剤がネックだ 今日は
つかれた まんがでも見て少し寝るか
10月27日(火)
 睦子52歳の誕生日である ばばーーになったもんだ 朝少し肌寒い 調度良い気候だ 朝食もよく食べられる
向かいの市川さんが 昨日癌と確認されたようだ 抗癌剤で直すとの事たいへんだ となりの水無さんは少し
のあいだ切らないで 抗がん剤 放射線の治療を続けるそうだ これも大変だ 暇でこまる 臼田町を少し散策
した 漫画もあきたし テレビも面白くない 何をしたらよいのか kzhと映子に手紙を書く
10月28日(水)
 今週も終わりにちかずいたかと 思いや水曜とはまだ長い 日の立つのがこんなに長いとは 生まれて初めての
経験だ 電子辞書がうまく動かない こんなんで毎日が終わってしまっては 無駄が多すぎるような気がする 何か
を考えて あと7週をすごさなくてはと思うのだが 何をしたら良いのやら 朝8:45回りは皆朝飯くらって 寝てる
なんという世界やら 午前は放射線のみ 午後臼田町散策にでた タクシーで100万ドル 5:30までやった 2万
の稼ぎ 面白かった 週一回はうまくやりたいが!! 帰ってきたらKZHよりはがき 毎日はがきをくれ ありがたい
それにくらべ中沢は俺のだす手紙の意味が分かってない もうだすのはやめる 兄貴(紘一郎)がきたようだ 近く
で仕事をしているとの事 俺の癌の病気は仕事のついでのようなものなのか 本を持ってきた 読む気はしない
 夜中山夫婦が来てくれた 1時間ぐらい色々話をしていった 面白かった やっぱ仲間は面白い 明日風呂へ
入っても良いとの事初めて風呂に入る 土曜のお昼ごろ帰宅できそうだ 優にでも来てもらうか と思ってる
猟の事も頭にうかぶ やはり殺生を楽しんでいるような 仲間はレベルが低いのか 性格が悪いのか 俺にあんなに
世話になり 犬までくれて だれも顔をださない 加々井はともかくとして こんなもんだろうか やはり早めにけじめ
をつける やくざの片割れみたいなもんだなんて 世間では 言われてるのを知らぬは 猟師ばかりである しかし
そうなれば 俺の結果もはっきりとして なお良い   俺が猟をやめれば 1年でも生延びる鹿が何頭 いるだ
ろうか
10月29日(木)
10月もぼちぼち終わりに近付いた 今年ほど医者に縁の会った事も無い 今日は1:00ごろ 風呂に入れそうだ
朝起きたとき 貧血をおこし 左目のしたをぶつける 結構つよくぶつかったようだ まだ痛む AM9:15看護婦
さんの名前2〜3人覚えた 依田さん この方は美人そのもの まだ男にあまりふれられていないようで 尻も腰
もくびれていない 年齢は30〜35ぐらいと思うが 意外に若かったりして 次は小嶋さん この方は22〜25歳
ぐらい かわいいにつきる ちょっとトゲがある感じがする でも将来は有望である (美人として) もう一人 古家
さん この人は武井のカーちゃんの言葉使いにそっくり 声がかんだかい 性格も 。。。。飯島さん この方は
やさしい 普通の主婦だ 言葉使いも 近所のあたりが良い 美人タイプではないが だれにも好かれると思う
少し足をひきづるとこが 母性本能をくすぐる PM1:00病院の風呂に入る 結構気分よかった ちょこちょこ
入る事にしよう
10月30日(金)
 朝7:00に起きる 寝起きに採血にくる 糖の検査は寝起きが最高との事 昨日の目くらみで左目の下をぶつけた時
首を後ろへ強くいったらしい 今日はムチウチで首がいたい 近所のカイロプラスチックへ 今日は外出予定 昨晩
佐々木さんが血便を出したという事 輸血やら 何やらで大騒ぎをしたらしい 俺は睡眠薬を飲んで寝てしまい気が
付かず  明日の迎え優に頼む 午後1:30ごろ 100万ドルへいく 一昨日稼いだのも全部使ってきた 丸子より
ひどい設定だ 部屋へ今日より二人新しい人が来た 佐々木さんは重病のようで 二人部屋へ入った どうも昨日
家族を呼んで大騒ぎをしたらしい 俺も昨日は寝言を言ったらしく 水無さんがメモしてあった 「そのちゃんと免許
持っていったか」 といったらしい 誰の夢を見たのか 不思議
特別ページ
看護婦さん usui   中年 感じはとても良い ごく平凡な人だ 気楽に話もでき 対応もしてくれる
        iida   中年そのもの 感じのいいかただ 生活がにじみ出ているのが ちょっと残念
        yoda 美人だ 体の線も崩れていない たぶん未婚かと思う 頭もよさそうだ すきがない 
           11・21小野さんより やはり未婚との事 この人あまり口をきかないが やはり美人
        ono  俺には一番早くなついた子だ 来年の春結婚するとか 女は強い 彼氏は32歳とか
        udathaka とても感じのよい娘 美人タイプではないが 男を幸せにするタイプ だれが みても印象は
           悪くない
10月31日(土)
 今日で最後だ 早いもんだ 今年もあと2ヶ月だ 11時ごろ優がきて 帰る予定 3〜5日間 今回はゆっくりである
AM11:00優に迎えにきてもらう 12:00帰宅
11月1日(日)
 中山夫婦 中沢夫婦 など気をつかって 遊びにくる
11月2日(月)  面白い話ばかり
11月3日(火)
白鳥映雪の美術館を見学にいく 画家というものも 歳をすると 絵も老いていく 夜秘書の小泉氏にTEL もう残り
少なく売る絵は無いとのこと 白鳥映雪もこれまでか
 山岸よりTEL 北沢君の事で睦子になにやら いろいろと 次の日TEL [とてもお役にたってます]何とか納得して
もらう 山岸には色々世話になりっぱなしである  健ちゃんやら 優にも話をしたが 山の仲間のことを少し今週は
書いてみようかと思う 又その日のことばかりでは なく これからの人生感をどうしたらよいのか 考える事ばかり
病院は3分の一終わったばかり
11月4日(水)
午前 血液を取り検査をしたようだ 放射線の治療で1日をすごす 大変暇である 飯がまずい どうも昨日あたり
から うまくない 放射線の影響か 午後東部の親父たおれて入院したと 睦子よりTEL 2度目の時は意識を回復
したそうだ 仕事が終わってから ようすを見にいくようだ 昨日 山岸と映子で話しをしたそうだ 人の事で涙をだして
お話をしたそうだ 本当にそんなことが あるのだろうか
 

友人 癌という病気になり 友人関係というものが はっきりとしてきた 何十年も付き合いをしていても たんなる

     のし袋で終わる人もいる 事実俺もそうだった 俺の事を本当に考えてくれるのか だいたい身内が全滅
     だ 親を見させといて その後はポイである 確か内の親父がそうゆう教育をしたから 仕方ないと思う が
     どうも俺としては納得がいかない 貴光 文朋 亜企子 この三人もたいして親を親と見てない 人間なんて
     こんなものなのか 睦子は仕方無いだろう 妻であるからな。。。。
 

川上貴光 現在のところ 素直な性格と思う 彼女によって左右されるのが 気になるところ 親を見る目は さほど

        深く考えていない 若いせいか仕事は仕方なくしている感じ でも何とか今のとこものになりそう
                                       H 10.11.4 現在
 川上文朋 TELしか 話した事がないので 今のところ 腹の底はわからぬ
11月5日(木)
 昨日の東部の親父がどんなかと思い朝よりTEL 仕事が忙しく病院へいけなかったとの事 今日午後でも外出して
様子をみに行って来るかと思う が 睦子にTELして見てからにする 朝食がまずい 放射線の関係はなにもないが
少し食道がつまる感じがする AM11:25 食欲ゼロ 信毎の生活雑記がぼつななったので 今日もう一度書き直して
見ようかとおもうが ナカナカいいアイディアが浮かばない 下村貫二夫婦が来てくれた 申し訳ない テレカード2枚
持って来てくれた 前に圭三さんも1枚持ってきてくれた
 
夕食 やはり美味くない どうも極端に食欲の低下である 具合が悪いと 何もする気がない
11月6日(金)  

 

朝久々に小山先生がきた 具合はあまりよくないが 先生の言葉を聞いて 気力が出てきた 16日から抗癌剤

終了後21日以後通院で良いとの事だ 睦子よりTEL親父はまずまずとの事だ 明日かあさって見舞いにいく
予定だ 東部からは親戚付き合いをしてもらってないが 俺の方は親戚付き合いはちゃんとすべきと思う 人間
病気になってみれば 人間がわかる   昼前優よりTEL そばを打てとのこと しんそばを粉にしたらしい 明日
はそばを食べるか ついでに病院の昼も そばにしてくれとたのんだ  夕方5:00前 姉が正徳さんときた 身内
では初めてのお出ましだ 少しは皮肉をいったが あまり言うのは止めた 癌との戦いも終わりに近ずいたと思う
中間よりは 最後のつぶし と思う 俺の体からは たぶん癌細胞は消えたと思う 9日からの検査が楽しみだ
11月7日(土)  

 

朝 具合はまずまずである 外は曇り 放射線をすませ 帰宅の予定  帰宅 店はあまり忙しくないようだ 夜

中山氏がきた 食べ物は家の方が 何を食べてもうまい
11月8日(日)  

 

日曜 朝から家の者に じゃけにされる 山のやつが 犬のマーカーをいとも簡単に持っていく 趣味をやめる

のも えらい損害だ 柿もちいさい柿はやはり だめだ 大きい物の良い柿を選ばぬと
11月9日(月)  

 

朝お金の支払いで 役場にいく まとめて請求した方が楽らしいので そうする

am11:00ごろ病院につく すぐ肺活量の検査をする pm1:00ごろCTの検査をする 明日は何なのか 寺島健二
洋子さんがきた その後山越がえらく くだものやら見舞いを持ってきた 組合の役員も小山 寺島 堀内 成沢
西沢 と この部屋でさわいでたら 市川のじいさんがうるさいという事で 談話室へ移動する 人のときは我慢せず
自分のことばかり 考えるじいさんだ 俺の具合はまずまずである 山のことも昨日 加々井と話したが 加々井は
やめる気はないようだ いやな者が俺の家の周りをうろつく それも来年の春までであるから ま我慢できる 夕方
入院金を支払う 247,630円也 KZHより手紙が来ていた Eはつまらぬ女だ 2通もだして 返事もこない
俺の暇をつぶしてほしいのに それがわからぬ人だ だめな人間ばかりだ 夕方竹内が来た 今日は酒飲み会
だという 組合の見舞いを持ってきた      PM9:00寝る
11月10日(木)  

 

朝より具合は最高によい 外の天気も良い 今日一日の仕事は 採血のみ 文朋がくるらしい 又一日暇な日をすごす

AM10:20友利先生がきて 明日は内視鏡 13日はバリュウムということらしい 午後臼田町へ遊びにでかけた 
その間に純夫 トキエ 紀久子 が見舞いに見えたようだ その間に俺がかえってきて 文朋がきた 元気でやってる
ようだ また純夫ら三人が来た いろいろ話しをしたが つまらぬ事を話した 兄弟はさめると つまらぬものだ 見舞い
も 1万円持ってきただけ 若いころ俺があんなに犠牲になっても 本人らはぜんぜんわからぬ いつかはわからぬ
ものか 文朋は相変わらず二枚目だ ああいう男は 女に失敗しそうだ 心臓のエコーをとった 夕方
11月11日(木)
髪の毛の抜けが少し多い様な気がする 朝より気分が良い 胸が少し痛みというか 放射線の影響と思う 今日 
内視鏡の検査だ 午前中は眠りにふけている むだな一日だ お昼ごろ内視鏡の検査に行く 麻酔が少し効きすぎて
かえって2時間ぐらい寝る 小山先生の話だと 順調に良くなっている と言う事だが 俺には良くわからぬ 又のちほど
説明に来てくれるとのことだ 明日バリュウムの通しの検査 8:15より  11日7:30中山夫婦がきた バナナと
花を持ってきてくれた まこと申し訳ない 色々世話になり 本当に申し訳ない気分だ
               ねずみ大根(げきから)
               あからしや (妻籠から来ている 大塚さんの病名)
11月12日(金)
朝 気分良く目がさめる 朝から髭をそる馬鹿がいて 迷惑ある AM8:15通しの検査 バリュウムを飲んで食道
の流れをみる その結果を小山先生より聞いて帰宅予定 12:40小山先生と話をする 順調との事 これより昼飯
を食べ帰宅   臼田の100万ドルへよる 夕方4:00ごろまで 少し取り返した 夜寺島健ちゃんが アイロンパーマ
 貴光のモデルになってくれた その後中沢夫婦も来た だれが連絡するのやら よく知っている 12:00ごろ帰る
11月13日(土)
中山夫婦が来てゆっくりと雑談をしていく 畑をやってくれるとの事 あまり迷惑を掛けられない その後山岸夫婦
が来る 色々話をした が 同じ事ばかり
11月14日(日) 中山氏夫婦 畑の大根 いもを掘ってくれる 申し訳ないが 甘えてしまおう 睦子は何もしない 夜100万ドル
入れ替えで いくらか うく
11月15日(月)
朝より昨日のいもをほす あと100万ドル 新台入れ替えのせいかいくらかうく PM2:00家を出 病院へ 3:00
前につく 11月24日の退院を目標にがまんしよう 明日より魔の抗癌剤が始まる 3:30ごろ点滴の管を入れる
友利先生が今度はした いたく肩にきてしまい たいへんだ 今もいたい 何か神経がさわってるらしい 4日間
だから がまんしよう
11月16日(火)
堀内けんめい氏が丸子町長に当選したそうだ 点滴の入り口が神経に当っていて 肩が痛くてたまらん 朝から抗がん剤
放射線の治療がはじまった 4〜6日のがまん 小山先生がお昼頃回診に見えた 結果の写真をくれるそうだ 貴が
きたらしいが 俺が寝ている間に措いて帰ってしまった 気の利かぬ息子だ 夕方より睦子からTEL鹿を捕ったとか
加々井が捕ったとか 色々の話をしてくれる 本日より抗癌剤が入っているため 断ってくれればいいものを 松田が
パーマ掛かってないという テンションが弱かったか 俊男君が岸病院で診察を受けるとの事 手遅れでなければ
よいが もう山の事は結論をだしたつもりである でも迷ってるのが本音 明日野辺山の大井さんが退院だそうだ
あまり具合が良くないが 家で治療するようだ 6:00ごろ 蟹窪の小林さんが夫婦できてくれた ヤクルト ヨーグルト
を持って来てくれた 薬をもらいに来たとの事
11月17日(水)
朝具合がすぐれない 抗癌剤のせいか 肩もいたい シップをはる 今日の夕方より山場が4日続くかと思う 昨晩
よりシャックリがとまらん 薬をお願いして のまにゃ止まらん 昼飯は駄目 バナナ1本のみ いつもよりダメージが
早い 13:10睦子より TEL 優の親父が死んだとの事 もう少し長く生きてくれれば 色々手伝いもできたのに
残念である ご冥福をお祈りしたい 思い出でいっぱいの親父であった 夕方高野花店に枕花を届けさせる 夕食
は半分ぐらい むりして食べた
11月18日(木)
 

昨日は風邪もからんだのか よく寝た日だ 夜も星を見るかと思ったが 見えずに終った 朝具合は昨日よりは

ましだ このだるいのは 食べ物の少なさかと思う でも抗がん剤が終るまでは 食べ物は気をつけた方がよい
昨日Eから手紙がきた 俺に怒られ仕方なく 書いたものだろう 可愛そうに 内容を見れば わかる でも
気持ちは買わないと なにせ学校の先生の娘だからな〜 KZHのはがきに「できるだけ 多くの時間 自分を
ご機嫌にしてください ナ−パスにならぬ ように」 とこんな 退院終わりになんとかしたい 自分を殺して 俺に
出来ぬことはない 人の悪口も言わないように なにせ 本日は具合が最悪である だるい 眠い まったく
今日で3本目である あと1本頑張るしかない
11月19日(金)
 

朝より気分はまずまず 昨晩夜中に めまいがして 看護婦に迷惑をかける 放射線室で写真をとってもらう

退院まで あと4日ぐらいだ もう2度と無いと思う 入院生活 いやこの世の世紀末にあると思う 入院生活で
楽しかった事 何も無し この毎日の記帳にも 癌のことが書いてない 本当におれは 癌だったのだろうか
                 友人も見た
                 家族も見た
                 親戚も見た
KZHの事をもう一度かみ締めたい
24日の日は中田和尚の所へよって 説教を聞いて見たい 夜睦子 貴光 亜企子 3人がそろって見舞いに来た
初めての事だ PM9:30ごろ帰っていった もうすぐ俺も帰るので 家も安定すると思う
11月20日(土)
 

もう少しで点滴もとれる 朝の気分は余りよくないが 抗がん剤が外れるという事で気分がよい 昨晩内のお客さん

の妹さんのだんな44歳の方が ここで亡くなったとの事 健康にはきを付けなければならぬ AM11:30点滴の線
がはずれた 抗がん剤も終った あと放射線2週で 治療は終わりだ 足の裏やら あかだらけ 気持ち悪い KZH 
にでも 手紙をだすか やめた 午後睦子よりTEL 俊男君の検査でポリープを2つとって 本日は入院との
11月21日(日)
 

今日より3日間やる事無し 身体の調子も今日は戻ると思う ま 何とか日をすごすか 依田さんが 朝7:16

さわやかな声を出している この方はまだ未婚である 子供も居ないと思う 退院までに 確認 具合はまずまず
完全とはいかないが このくらいなら 良しとしなければ 身体が調子良くなると 山をやりたくなるなー いったん
辞めたと 宣言したが どうもあの面白さは なんとも言えんからなーー もうちょっと ゆっくりと考えるか 仲間
の悪さがいかん あれが解消できれば 言いとおもうんだけどなー
11月22日(月)
 

午後 市川さんの頭を丸坊主にする その後パチンコ屋へ 具合が悪いせいか 体が集中できずに だめだ 帰り

がけに 臼田のとこやへより シャンプー 顔そり をしてもらった 他人のとこで仕事をしてもらうと 色々な欠点が
きがつく たった3200円だけど 貴重な経験をした (サイエンス)池田君と同じ化粧品を使っていた レザーは
一回ぞリして そりこん ソープを手でつけるのは 余りよくない 威圧感があるなど 色々 家に帰り反省をする
明日具合がよければ あと三晩で病院ともさよなら 通院のがらくだ 望月署の久保氏より見舞いが届いてた 俺の
家にでもいって 聞いたか PM5:50琴錦が優勝した UHDCのメンバーに一言 長いつきいは友情を深める
親睦のためにもある団体な訳だ 只仕事のタメのみである 団体とは また一味違うと思う 人の命が掛かってるときに
よく忘年会など出来たもんだ 新年会の退院してからやるとか やり方がありそうなもんだ 又Nの「くやしさをバネに」
本人は名文句を考えたつもりが 最悪の言葉である 俺は根が深い が 退院後はよく考えねば ならぬ
11月23日(火)
 

具合がよい 胃の調子がどんなもんか あまり入らないとは思うが 外は天気その物 晴れ 朝より小山先生が巡回

に回って来た 子供さんが 8:00〜何かあるそうで 忙しく回ってきた 退院の件 採血して 結果が出次第という事
今日は外出許可がOK 今からまとめて 家に帰るか もう退院と同じである
人間とは愚かなもんだ 退院できる この喜びで 2ヶ月の入院生活など 完全に忘れた 書くことも忘れた やはり
書くこと自体 好きではないのだろう 結局この場でまとめるしかない
11月25日(木)
 

お昼ごろ無事退院する事ができた 放射線は 外来で10日間ということである 12・7ころ最終検査 無事クリアー

入院日は 27万ぐらい 総額55万ぐらいかかった 組合の協栄生命から100万おりた 少しのたしになったか
見舞いは 友人 となり など親しい人たちよりかなり の見舞いを頂いた まことに申し訳なく思う
爆弾を担いでいる 俺ではあるが なんとか一日でも長く  生き延びたい。。。。。。。。
 

後記

なにがなんだか解らんうちに この内科の2ヶ月の入院が終った この後春の検査にて 再発 。。6月より
おいおいと まとめますのでまた ここえ出かけて読んでみてください なにかご意見がありましたら 下記掲示板
に書き込んでいってください 私にできることで あれば ケアーの相談にものります。。
           

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平成11年
5月7日  4月14日19日の結果を聞きに病院へ 30分ほど待たされた 結果は再発 呆然とする 俺である
すなわち 前回のものが完治せず 又動き始めたという事である 残された選択は 手術のみ 都甲
先生へ回される 内科の小山先生いわく 「残念でした」で終わり。。。。。。。。5月24日入院 6月2日
手術 の予定である 最悪の結果である 俺の命も今度だけは だめのような気もする 少しの間に
やる事が山ほど。。。どこから手をつけてよいやら 中山 中沢に話をする 次の日優にもする
        ぜつぼう 好夫
5月22日(土)  
 24日へ向けて毎日が忙しい 夜中山夫婦 中沢夫婦 が来る みな気を使っての事と思う 人ごとで
あるような 気がしてならぬが 自分の事である 仕事も忙しい こんな時に入院とは 残念である。
5月23日(日)
 仕事は忙しい 入院の準備は大体できた 夜 寺島光治夫婦が来た 色々と話をしていった 病気の
事になると 話が しぼむ。
5月24日(月)
 朝より 最後の犬の餌をくれる みなかわいい すぐ理容組合の野球大会にいく 貴光はコントロール
が 悪くてだめだ   店の玄関を本田さんが来て いじくってる 綺麗になる事やら PM1:00佐久総
合病院へ入院 いやな日がつづく すぐ色々きかれる 売店へいき お金をこわし テレカとテレビカー
ドを 2枚づつ買う あとはのんびりとする 明日の検査の計画がぞくぞくとくる 尿の量 CT 24時間
心電図 便 たん レントゲン など明日は大変だ 夜寝付きが悪い となりの患者さんより 色々と
手術の事を聞く ぞ!! とすることばかり 睦子は3日ばかり 付き添いが必要らしい 金曜の夕 結果が
出る 昼 都甲 大井 油井 3人の先生がようすうかがいに 来た 都甲先生は手術の仕方を説明し
ていく わきの下の筋肉はさけて 切るようだ 仕事のため。。。
5月25日(火)
 朝早くおきる 昨日早く寝たせいもある あいかわらず 朝飯はまずい 看護婦に明日よりパンにして
くれとたのむ AM9:30 心電図 エコーの検査をする 医者は不整脈の事を気にしているようだ 13
:30 CT レントゲン 24時間の心電図計測器をつける 今日はこれで終わり 店舗改装 左官屋さん
75万をつけてきたとか これは400万こえるな  今日も暇な日であった 食い物がまずい 体を動かさ
ない事が原因だ   睦子がよくTELよこす。
5月26日(水)
 朝6:20に起きる 寝起きに採血に来た 2ccづつ5本取っていった 今日も検査がつづく 朝より
呼吸の検査 6通り 耳より血のとまる時間の検査をする 今日はこれで終わり あと内視鏡と腸の検査
のみ  午後家に帰宅 店の前はレンガがつまれ 綺麗になった 掃除が行き届いてない 31日に大
工さんがゲアを出しに来る予定 あと塗装のみだ  夜中山夫婦が来た 12:00ごろまで 話をしてい
く 金曜の都甲先生の説明に仕事を休んで 来てくれるとか 申し訳ない。。
5月27日(木)  

朝6:40に家を出る 病院へ7:30につく さっそく下剤 8:30より通しの検査 都甲先生つきっきり

でした 小さくて見つけるに大変のようだった それでも敵は 癌 手術をしなければならぬ どこも とん
でいないようだ それだけが心配だったが 今の所いいようだ 睦子へTEL 山岸より 昨日のことで 
若い子をまわしてくれる との事 メロンの苗もきて 加々井に連絡せよとの事 トマトも順調のようだ
今日はこれで暇だ   3時ごろ 看護婦さんがきて 明日の検査は 内視鏡と内視鏡音波とやらの検査
で 終わりとの事 麻酔を打ってやると思う 明日の夜帰り 31日まで外出の許可が出そう
5月28日(金)
 朝5:30に起きる 周りはごそごそしている 今日は結果が出る日である 昨日の都甲先生の今のと
ころ とんではいない の一言は安心する 今日の検査は麻酔をかけ 内視鏡 超音波内視である 夜
は家に帰る予定 すき焼きが食いたい 昼前色々と手術の説明(用意するもの)
5月29日(土)
 昨日帰る予定が 検査一つ残していたため今日となる 昨日は 胃〜食道の内視鏡のさい 麻酔を
よくきかしてくれ 人の4倍も薬を入れたそうだ そのおかげで 睦子やら貴光やら健ちゃんが おぼろ
かげ でしかみえず申し訳なかった 夜もゆっくりと眠れた 検査結果は 転移もなく 思ったとうりと言う
事だ あんな小さくても 手術しか手がないという事である 仕方ない これも俺の生きざまである
エコーの検査終了次第帰宅
5月30日(日)
  31日(月) 帰宅
6月1日(火)
 朝8:30病院につく 今日は色々ありそう 昼より下剤がかかる 0:45ごろ麻酔科の先生より説明
がある 明日AM8:00には 筋肉注射があるようだ 8:45には 手術室へ行くとの事 こうなれば
だせいで行くしかない 陰毛をすられ ひりひりしてかなわぬ 手術後は部屋も変わるようだ 夜には
手術前 最後の手記でも書く事にする  夕方より不整脈がでて 下剤の効きすぎ 書く状態になし
6月2日(水)
 いよいよ本日である 身体はまずまずのコンディションと思う   成功を祈りたい 都甲先生の腕次第
である 又友人 家族に感謝したい 協力してくれる方々に本当にお礼をいいたい 
          それでは AM 5:18
6月8日(火)
 今日で 手術後一週間である
6/2 AM:8:00腕に筋肉注射をする 頭がボーとした 家族全員の顔が見れた 中山夫婦も仕事を
    休んで駆けつけてくれた 
    AM8:30手術室までの 案内ベットがくる 先ほどの注射で気分が悪くなり 早めに乗り 寝ころ
    んだ 部屋の方々みんな 見送ってくれた
    AM8:48部屋を出た エレベータにのり 2階手術室へ 家族 中山夫婦の見送りで ジャーナ
    −で入っていく なかなか広い部屋というか 廊下をいくつもぬけ 俺の手術室へついた 麻酔科
    の先生が 一番早く話しかけ 背中へ 一本 又一本と麻酔の管を入れる 話をしっとうしである
    話が途切れると 「川上さん 話をもっとしてください と要求された」 三本目が入り終わる頃 何
    も見えなくなった..............
    
    記憶が出てきたのは 夢からだった 夢を見ながら気がついた その夢は 山の猟の夢であった
    それから「川上さん終りましたよ」の言葉で周りが解ってきた 又同じような天井を通り帰っている
    ようだ 家族が来てくれていた 睦子 貴 文 亜企 中山夫婦 姉 加々井 ら まこと 貴重な
    一日をつぶさせた 中沢夫婦もいた
6/3 朝より麻酔の影響で 身体全体まったく動かない 酸素吸入の関係で目の回り 鼻の回りが か
(木) ゆい そのたびにブザーを押し看護婦さんにかいてもらう ガーゼも2時間置きぐらいに 取り替
    たようだ 一日中 体全く動かず
6/4 朝から 体が動く 痛みもない 快調である 中山夫婦 池内 文 面会にくる
(金)
6/5 今日もうそみたいに 快調だ 痛みもさほどない 都甲先生が 「こんな早くの回復は見たことない
(土) 」 とお世辞を言ってた 紀久子 純夫 トキ江 が面会にくる
6/6 朝より調子はさほど よくない 冷房が効きすぎて 寒くて仕方ない 午後 紘一郎 美恵 が
    面会にくる しらじらしく来た 文も一緒にいた 3時頃何かの薬の関係で 体が身動きとれなく
    なった 9時頃回復
6/7   今日も空調の調整が悪く寒い 午後ICUをで 6階へうつる ICUの看護婦さん達
(月) みな 若くはきはきと 活発な人達ばかり 平均年齢も 25歳とか なにせ若い 元気がよけれ
    ば面白かったが なにせ体が動かぬ
    武田さん 手術前日にICUを説明にきた方 とても美人で若々しい
    あと記憶に残る 美人看護婦さんがいたが 2〜3人どうしても 名前が出てこない
    大井さんに送ってもらい 睦子と病室 面会謝絶の部屋につく 知ってる看護婦さん 何人かが
    手をふって歓迎してくれた 頭を洗ってもらい(睦子に)気分は最高 体は動かず 同じ日に胃を
    切った東部の柳沢さんが 早速部屋にきて 話をしていった あと一週間だ これを乗り越えれば
    ICU 何かものごとを考え込みたい 気が全くない 自分の身体の不自由さに あきれる 体を
    元に戻す事だけを考えた 5日間 いたみ も 何もすべて こらえた
6月8日(火)
 PM4:45 少しまとめてみたが わすれちゃって わからぬ事ばかり 体を直す事に集中してるもんで
他のことは 考えない様にしている 最中に都甲先生がきた 首をかしげていた これは何の首をかし
げたのか 俺がベッドからおりて これを書いている事が不思議なのか わからぬ そのあと麻酔科の
今井先生がきた 握手から 話が始まった 涙が出そうになったがこらえた 「又その内手紙などかか
せてもらいます」 と言うことを伝えた どうも 肺の機能が悪いようだ 午後より 睦子が来て9時ごろ
までいた 心配なんだろう
                      
6月9日(水)
  先週の水曜に手術をし 一週間がすぎた 昨晩はいたみがあり眠れなかった どうも痛み止めの           
薬が終わりになったようだ これからはいたければ 座薬のみ 朝座薬をいれてもらい おさまる(いた
み) 午前6F大井グループの検診 都甲 植松 大井 3人の先生がきた いたみ止めの 管をぬいた
傷も順調との事 半分抜糸した 明日は全部抜くそうだ 肺の調子がよくないので レントゲンを撮るそ
うだ AM10:00すぎ 山岸 中沢へTELをしておく 武井さん夫婦が来てくれた あのカーちゃんも
病院では 声を小さくはなしていた 10分ばかり で帰っていった 昼は傷の痛みがすくない 何とか
がまん出来る 範囲だ 午後都甲先生がレントゲンの結果を言いに来た 胃がふくれていて 肺を圧迫
しているそうだ ドレインで胃液と空気を抜いた 少し楽になる かと思ったら 胃のドレインをそのまま
明日の朝までおいてくれ との事なおさら苦しくなる 9時すぎ睦子が来た 少し話しをして帰る 又夜は
眠れぬと思う 座薬で痛み止めまではよかったのだが 睡眠薬をいれてくれず 3時まで 少し寝る
だけ 3時に入れてもらい 6時ごろまで 寝た
6月10日(木)
 朝8:20 レントゲンの通しの検査にいく すべてが 順調のようだが 胃の出口動きがにぶいのが
ネックである 今日より 水2〜3杯のんでも良いとの事 明日はおもゆ あさっては 三分がゆ と毎日
よくなっていく パターンである しかし胃の出口が問題を起こしている
 午後竹花俊彦さんが見舞いにきてくれる 20分ぐらい話をしていった 息ぐるしく大変である 傷口
すべてOKであるが 肺の機能のみ
 6/10     6/11     6/12     6/13     6/14     6/15     6/16     6/17     6/18     6/19     6/20
  ミズ     オモユ     3ブガユ   5ブガユ   フツウ テンテキハズス  ジュツゴ2シユ  フロ         
  6/21    6/22     6/23     6/24      6/25      6/26      6/27     6/28     
                     ジュツゴ3シユ タンイン                                          タンイン
 夜おそく 睦子がきて 話をしていった
6月11日(金)
 術後9日目である 朝から体が重い 昨日の晩はよかった 肺の機能も又もどってしまった 胃の働き
が悪いのが ちょっと大変だ 今日よりおもゆがでた 半熟たまご!!簡単に食べられたが喉の通り
が悪い ま どうなる事やら 午後レントゲンをとる やはり胃から抜けていかないようだ これでは肺に
負担がかかるのは当たり前 と言う事で 夕食より 絶食 水のみと言う事である 夕方37.7°cの
体温 夕方より 水もだめ   具合悪い 
6月12日(土)
 昨晩はいくらか眠れた 睦子も毎日来てくれて ありがたい が事故でも起こせばこまるので ぼち
ぼちで良いと言う 今日は通しのレントゲン の検査をする 熱もなくコンディションは良い あと胃の
動きだけ 都甲 植松両先生がもう大丈夫といってくれる 来週の火曜にカメラを入れて 胃の出口を
広くするとか 午前の診断で背中に水がたまっていて すごかった 先生に言わせると 一リットル
ぐらいとの事
   6/12  13     6/14                       6/15    
  水のみ     内視鏡にて胃の出口をふくらます     順調にいけばここから おもゆ
 体重76.6キロ 2キロへった     最終には10キロは減るとの事
 夕方中山夫婦 池内夫婦が来た 7:30ごろまで話をしていった 体のコンディションが最高であれば
面白いのだが どうも調子よくなく悪い気がする  その後加々井がくる みな気をつかって来てくれ
申し訳ない 生涯忘れてはならぬ事である 野球をみて床につく
6月13日(日)
 朝より調子はまずまず 昨晩眠れたせいもあるか 何とか一日がもちそうだ 胃のほうも昨日より
は 腹がゴロゴロないているので よいのではないかと思う 午前宮本先生の診察あり 前松崎俊ちゃ
んが見舞いにきてくれた 全く申し訳ない 午後姉が来た 正徳氏と良子はまだ子供うまれそうにない
との事 昨日加々井がきて 色々と俺の悪口を言ってたそうだ 結構長い時間いた 帰ったあと 掛川
夫婦が来てくれた 掛が夫婦でくるなんて めずらしいもんだ ゆっくりと話をして言った  今日は微熱
があり 頭がすっきりしない 少し肌寒い ような気も  熱のせいか
6月14日(月)
 朝熱はひいたようだ 月曜という事で 床屋さんが大勢いきた   午前山岸夫婦 鈴木  昼ごろ
西川 PM1:30ごろ 寺島光治夫婦 2:00 寺島健二夫婦 4:00すぎ 睦子 映子 優 貴光 と
その後 宮下拓也 母と  人と合うだけで つかれて話をするのも いやになる 夜はテレビでも見て
ゆっくりと寝る事にする
6月15日(火)
 朝熱はない  体のコンディションもあまり良いとはいえない 午前中より 学生の丸山さんが 2週間
つききっりという事だ シャンプーをしてもらう 少しコツを教える お昼ごろ胃の出口をカメラを入れて
広げた ものすごい苦しさである せきが出 腹はいたい 少し熱が出ているようだ これでうまく 胃の
調子がよければ良いが 夕食より重湯がでるそうだ 又だめなら 来週の火曜とか駄目になるにつけ
一週間の入院がのびていく
6月16日(水)
 重湯も何とか 飲みこめている 今日の夕方より 三分かゆだそうだ ここまでクリアできれば 順調
に行くと思う 午後より7°2分微熱が出てきた 少し具合が悪いか 学生の丸山ちゃんが足をあらった
り つききりで世話をして くれる 19歳とか 亜企子もこのくらい すなおなら良いが 昨日マッサージ
を教えた さっそく練習をしたらしく 俺の肩へ2〜3回してくれた 毎日肩はきもちが良い
学生相手で少し疲れる
6月17日(木)
 昨日睦子はこなかった 従業員のつとむ君とやらが来たとか 俺に近々あいさつにくるとか 昨晩は
久々によく眠れた 今日も午後は微熱がでそう 点滴の量を減らしてくれるとの事 小水でトイレ通いが
大変でたまらん 腹もすかんし 便は 昨日食べたものが 下へ落ちている ぼちぼち良くなると思う
夜 中山夫婦 睦子が来て話しをしていく
6月18日(金)
 熱のない日は 朝かららくである 午後になって出なければ良いが 少しせきが出る 今日は大井
先生が始めて病室へ来た 食道の手術も三通りあり と話していった 俺のは元の位置に納める方法
だとか 少し今日 肌寒くてかなわない ここへきて 暑いという日が一日もない 体のせいか なおる
には 手間のかかる事だ 夜中沢夫婦が見舞いとまんがを持ってきてくれた 9:30ごろまでいて 帰る
6月19日(土)
 朝4:00ごろより 背中のきずがうずく 少し息ぐるしさもある 胃が又ふくらんでいるのか 朝優 打江
さんにTEL 二人ともつかまらず 又長い一日がつづく 朝のうちに優に連絡がつく 店の玄関の上の
色の話をする 午後より 食欲 ゼロである 胃がまんたんのようである
6月20日(日)
 今日は熱はない が 胃の具合がよくない 火曜の日にカメラでふくらまさないと 駄目かもしれない
呼吸も苦しい 昼前高原さんがわざわざ きてくれた 少し話しをして帰る 午後山下夫婦 丸山夫婦
下村栄ちゃん 小島泰さん 三井初ちゃん 今井夫婦 植松夫婦 と少し疲れきみである みな気を
つかって申し訳ない 優がTELよこせ ということ トマトがひょろ付いてこまると 素人はなかなか
難しいとおもう 少しづつの肥料ののつみかさねが必要なのだが 睦子が8:00ごろまでいて帰る 病
院生活に嫌気がしてこまる 話をする
6月21日(月)
 朝より熱はない 丸山ちゃんが戻ってきた 午前シャンプーをしてもらう 午後 石塚がきた いろいろ
話をして帰る 胃の調子はいまいち 2時すぎ 山岸夫婦が様子を見に寄ってくれた 山越も来たが
すぐ帰った やつの癖か 4時すぎ 丸山夫婦が来た 礼子ばーさんは少し太りめ 5時すぎ帰る 色々
話をする
6月22日(火)
 朝は調子がよかったが 午後はすぐれない 都甲先生が学会より帰ってきた 明日内視鏡で胃の穴
を大きくしてくれるとの事 49歳最後の日である 最悪の49歳 不整脈 食道癌 2回の入院 手術
50歳以後 何とか病気だけはさけたい  最悪の49歳もやっとおわり 何とか道を開きたい 明るく
楽しく 愚痴をいわず しかし どうも今年の猟は駄目かも しれない 4〜5ヶ月では 回復は無理と
思う   又来年がある 許可だけ 取っておき 来年に掛けるか 花造りも縮小 しないと 今度だけ
は駄目だ 数をしぼり 最小にして やろうと思う 畑も少なく考えねば ならん
6月23日(水)
 50歳の旅たちである なんとか 病気からのがれたい それ次第で 生きられるか 死ぬか  朝より
調子はよい シャワーを浴びた 22日ぶりだ 気持ちが良かった 昼胃の出口を広げた この苦しみは
 誰にもわからぬ くるしいいーの一言 その後 微熱が出 水まくらで 寝込む 昼前 保屋野さん 板
金屋が来た 山の話を色々する 犬の写真も持ってきた まずまずの犬かもしれない これからが楽し
み 夕食もとれず テレビでも見て寝る予定   睦子が来るとか
6月24日(木)
 今日の昼より 五分かゆ うまく食事がとれれば良いが 不安である 昼前 田中みさえちゃんが来た
検査の帰りとかで 少し話しをしていった 夕方兄貴夫婦が来て話しをしていった  今日は学生さんに
シャンプーを教えてやった 教える最中に看護婦さんやら いっぱい 十数人が集まって 見ていた
6月25日(金)
 朝シャワーを浴びる 気持ちが良い せきが結構出て 邪魔だ 夜遅く睦子が来た
6月26日(土)
 朝より 肺がざわざわして気持ちがわるい たんがからんでいる との事 少し息苦しい 明日の帰宅
の許可がでる 昼ごろより 632号室より 628号室へ部屋をうつす 6人部屋だが 本日は帰宅やら
退院やらで 俺一人しかいない 増田 武石 和田の増田 2人で見舞いに来てくれる 樋口さんも来て
くれた
6月27日(日)
  約25日ぶりの帰宅である  優にPM1:00に向かえに来てもらう 家につき 色々みたが 何かやる
気はない 仕事をやらせられた 中山夫婦 池内 その後加々井が9:00ごろまでいる 
6月28日(月)
 朝商工会へいく 源泉をした その後犬を見に板金屋へ乗川氏 保屋野氏 宮原と鉄砲の話ばかり
犬もまずまずの子と思う  PM1:00すぎ 病院へもどる
 採血 レントゲン 点滴 と忙しい 丸山ちゃんが明日で最後 ちょっと寂しい気もする 点滴も明日で
最後との事 明日朝より七部かゆという 何とかのりきって 退院までもっていきたい  6人部屋は
PM9:00になると 皆寝る  最悪
6月29日(火)
 朝から調子は良い   学生さん今日で終わりだ よく遣ってもらって大変助かった 点滴も今日で
終わり 食事がうまくいけばよいが 都甲先生が退院を匂わせていた 背中がいたくて 退院には まだ
まだ と思うが。。。
6月30日(水)
  6月最後である 都甲先生が 退院しても良いとの事 こんなんで無理と思うが 午後階段を上った
ら不整脈がでて 具合が悪い まだまだ運動は無理である  前の丸山さんのいびきで 夜眠れず
7月1日(木)
  朝より調子は良い 午後急に思いつき外泊する 月曜まで
7月2日(金)
7月3日(土)   家につき 仕事をしたり 畑を見たり 寝ている訳にはいかない 体は回復すると思う
7月4日(日)
7月5日(月)
  11時ころ 病院につく 睦子が口腔外科へかかった 都合で早くきた 
午後栄養指導を受けた   よく寝た
7月6日(火)
  植松先生と話をする もう一度カメラを入れて入り口を広げないと駄目かもしれない 退院は来週
する予定 ベッドを窓際へ持ってきた やっと明るいとこへきた 午後睦子 映子 洋子 さんがきた
急にきて 驚く 第一月 火 で休みだったようだ   俺は暇でこまる
7月7日(水)
  朝より調子はよい 食欲がない 金曜に喉を広げる 予定 情況をみて 下の方も広げるみたいだ
月曜日 12日午後退院の予定
7月8日(木)
  今日もする事なし 一日中暇である 今夜のみで病院生活も おさらばと思えばがまんも出来る 夜
少し寝付きが悪い  下村義樹さんが見舞いに来てくれた
7月9日(金)
  今日は内視鏡で胃の入り口 出口を広げてもらう ものすごく苦しいけど 仕方ない
入院生活も 今度こそは 終止符を打ちたい
7月10日(土)
7月11日(日)   帰宅
7月12日(月)  お昼ごろ退院のため 病院へ すぐ退院
 やっと全部の記録を編集しました 手術は100針をぬう 9時間半の大手術でした でも人間は強い
もので 日に日に回復していく様子がわかりました 私のこの病気に あたたかく見守ってくれた 先生
友人 近所の皆さんに感謝してもしきれません 
 現在2年半が過ぎようとしてますが ここが一番転移の境目なんです 気をつけても 気をつけようが
ないのが この病気。。 今年も狩猟におわれ のびのびと 遊んでます。
           山に川に自然満載の 当地丸子にも 遊びにお出かけください。 
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