食道癌 再発編(手術) | |||||||||||||||||
1998年10月 |
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川上好夫編 | |||||||||||||||||
前書き | |||||||||||||||||
病気入院より数年たって 入院の記録を読んで見ると 人間の生き様が こんなにも露骨に出ている | |||||||||||||||||
けして彼らの悪口をはらのそこより 言っている訳ではない 病気を乗り切るために 気を向けているの | |||||||||||||||||
だろう 原文のまま載せようと思ったが 固有名詞はさけた 意味不明の所は副作用との戦いと思う。 | |||||||||||||||||
入院5ヶ月半の食道癌より生還の記録です 気を長くしてお読みください。。。 | |||||||||||||||||
管理人プログ 「ザ‘‘信州ダッシュ」
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平成16年1月28日 書込み | ||
当管理人のかかり付けのDrが昨年開業しました | 住所 長野県佐久市大字三塚191−36 | |
胃腸科 内科 外科 肛門科 | TEL 0268-64-0650 | |
都甲クリニック | URL http://www.togo-clinic.com | |
食道癌でお悩みの方一度電話して相談してみてはいかがでしょう。 | ||
10月7日(水) |
我が家に 仕事終了より 中山家 中沢家 山岸家 寺島家 など集まり 送別 会ならぬ 激励会を盛大に行 |
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う 友人と言う者は ありがたいもんだ ちなみに 10/7 は女房との結婚25周年でもある 昔が思いだされる | ||
10月8日(木) | 午前中 佐久総合病院で診察を受ける 間違いなく「食道癌」である 又俺に嫌いな言葉一つインプットされる | |
「癌」である 検査のため 10/12 より入院との事 そう言えば 昨日 寺島健二君が 奥さんとの20年前の | ||
出会いを話した ”人目ぼれ”だと よくもぬけぬけと言ったもんだ 確か昔 東京へ行けば ”俺は洋子命” と | ||
言って 吉原へいかなかった ひとそれぞれで有るが 不思議な人もいたもんだ。 | ||
10月12日(月) | 朝10時より 家を出発 武井さん夫婦が影ながら見送っていた 深山峠で 涙が出てしかたない 無事帰れる | |
のか お昼より 心電図 胸部レントゲン その後 麻酔をかけ 食道 胃の内視鏡を行う 今まだ頭がボーと | ||
している 麻酔のせいとの事 明日は9時以降の食物は食べていけないようだ まだ検査の段階 治療に な | ||
ると 毎日が大変のようである 山 川 をとぶ時が一番楽しい 明日からの目標は 看護婦さんの名前を 覚 | ||
えたい! | ||
病状説明記録 患者 川上好夫 殿 | ||
同席者 | ||
[病名] 食道癌 |
[治療] | |
○ 開胸開腹食道亜全摘胃管再建術 1.5月 | |
○ 放射線 2月 | |
○ 科学療法 (抗癌剤) 4月 | |
食欲低下 | |
脱毛 副作用 プラス | |
白血球 ↓ | |
血小板 ↓ | |
1990年から開始している | |
[精密検査] 約 一週間入院 | |
以上説明いたしました。 10年10月8日 佐久総合病院 胃腸科 | |
説明医師 小山 恒男 | |
入院診療計画書 | |
7東 病棟 川上好夫 殿 | |
1.入院時診断及び症状 : 食道癌 | |
2.他に考え得る病名 : | |
3.治療計画 (検査.手術内容及び日程を含む) : | |
精密検査のため 入院していただきます | |
10月15日 16時から結果をご説明いたします | |
ご家族の方いもご説明しますので 15日16時に ご来院ください。 | |
4.推定される入院期間 : 約 4 日 | |
平成10年10月12日 | |
佐久総合病院 胃腸 科 主治医 小山 恒男 印 | |
10月13日(火) | 朝久々に ゆっくりと寝た 昨日の麻酔のせいと思う 朝より検査が始まる 胃〜肝臓など超音波の検査 |
午後より腸の内視鏡検査の予定 12時頃より始める 大腸の中はとてもきれいだった 全部俺の目で見れる | |
検査はとても安心する 少し赤膚になっていたが 何もないとのことだ 青い薬をかけたが ちゃんと青くなった | |
ので安心した 組合の事業報告をまとめる 柳沢でもきたら渡して 服部にやってもらう つもりだ あと | |
ワープロがあれば スタンドがほしい なにせ病院は暗くて陰気だ やっと夕食が食べられる 体の調子が | |
良いと何たべても 美味い 病院の夜は何せ早い PM 9:00にはみんないびきをかき 寝てしまう | |
テレビも9:30には切れてしまう まったく つまらぬ生活をしている。 | |
10月14日(水) | 朝6:30に目を覚ます 本日は朝飯を食べる事が出来る 病院に来て 初めてである となりの人たちと話 |
がはずむ 抗がん剤の話をする3日点滴をして 15日休むようだ 俺もそれを する予定だ 点滴の3日は | |
死んだようにつらいそうだ その方も4ヶ月の入院との事 15日PM4:00の結果を聞きに健ちゃんもくるようだ | |
あまり迷惑ばかり掛けてすまない気もする 1日中暇だ 15:50より胸部より下腹に掛けてCTの検査をした | |
血管注射を4回さされた 注射のへたには つくづく嫌気がする 夜バリュウムのせいか 腹がはる 下剤を | |
もらい飲む 10時ごろより聞いてきた 11:00ごろまでトイレにいき なんとか腹のはりは取れた 明日の | |
検査で終わり いよいよ結果がでる | |
10月15日(木) | 今日で最後の検査だ バリュウムを食道へ入れてカメラで撮る 小山 友利 両先生付きりの撮影だ PM2:00〜3:00 |
までかかった 鼻から管をいれ 食道をふくらまして撮る検査もした PM4:30 睦子 貴光 中山健ちゃん 3人と医者(小山) | |
より検査の結果を聞いた 初期の癌と言う事だ よくよく説明を受けた 岸先生に早く見つけてもらったのが 幸いした 小山 | |
Drの話では あと半年で 5分5分の命だという まったく恐ろしい病気だ 来週より治療に入る | |
10月 19日 20日 21日 22日 23日 | |
◎★ ◎★ ◎★ ◎★ ◎ ◎ 印 放射線治療 | |
24日 25日 26日 27日 28日 | |
◎ ◎ ◎ ★ 印 抗癌剤治療 | |
29日 30日 31日 | |
◎ ◎ ◎ | |
11月 1日 2日 3日 4日 5日 | |
◎ ◎ | |
6日 7日 8日 9日 10日 | |
◎ ◎ → 中間検査 |
11日 12日 13日 14日 15日
内視鏡 CT 超音波 レントゲン通し(食道) | |
16日 17日 18日 19日 20日 | |
◎★ ◎★ ◎★ ◎★ ◎ | |
21日 22日 23日 24日 25日 | |
◎ ◎ ◎ | |
26日 27日 28日 29日 30日 | |
◎ ◎ ◎ | |
12月 1日 2日 3日 4日 5日 | |
◎ ◎ ◎ ◎ | |
6日 7日 8日 9日 10日 | |
検査 内視鏡 CT 他 | |
その他あいている日は すべて点滴だ これでだめな時は 切るしかない。。 | |
10月16日(金) |
今日は 血液検査2回と 小水をためる事が一日の仕事である 体は元気その物である 徳島の源さんと信毎へ手紙 |
を出す 夜9:00に病院を出て家に日曜のお昼まで 帰る予定 PM1:30 下村圭三さんが夫婦で見舞いに来てくれた | |
頭の方へ癌が飛んで 大変なようだ 俺も癌がなおったら 癌クラブでもつくらにゃ− 今から郵便を出しにいく PM3:00 | |
放射線のあてる場所をマジックで位置決めする 12月はじめまで かかるようだ PM9:00家に帰る 9:50頃家につく | |
貴光 睦子 が迎えに来る すぐ中山夫婦 松崎が12時ごろまで 話をしていく。 | |
10月17日(土) |
朝早くより仕事が忙しい 半日は3人で立ちっきりだ どうも貴と睦子では 乗り切れそうもない 夜山岸夫婦が来る |
従業員の中沢君を 土 日 祭日 店に貸してくれるそうだ 一日一万という事で 話をする あまり家では 酒を飲まなく | |
なり つまらぬ 気を使っているのか 後中沢夫婦がくる 12:00すぎまでいる 無駄話をして帰る 良子も昼間来た | |
友人に感謝すべきである AM1:00ごろ寝る。 | |
10月18日(日) |
朝久々にゆっくりと寝る 畑を一周した はくさい キャベツ などまずまず良い なめこも少し出始めた お昼病院へ |
向かう途中 すしを食べ 3時ごろ病院へ着いた 山下君が見舞いに来てくれた すぐ小山先生により 胸の鎖骨の下 | |
静脈へ点滴の管を通す 心臓のそばまで 入れるそうだ 麻酔をしたので さほど痛くない 肩が少しはる 夜眠いが | |
寝てしまうと 夜中に眠れないので むりして起きている 手紙でも書くか。 | |
10月19日(月) |
朝 中沢 西野さんへ 手紙を出す パジャマが熱い 睦子に文句を言う AM9:00より点滴を始める 放射線は |
10:40から6000何とかを 一日200づつ30回あてる 点滴(抗がん剤)は24時間4日間続く 百江がきてくれた | |
検査がからんだもんで 少しの時間だけど 話ができて 安心した 百江も大変だ 午後石塚がきた 夫婦 子供 | |
ゆっくりしていった その後池田夫婦で来た 友人はみなよくな人々だと思う 今日あたりまでか 元気で居られるのも | |
午後山越が何か持ってきた どうもあいつは くればすぐ帰る話ばかり どうもいかん その後すぐ光っちゃんが夫婦で |
来た ゆっくり話しをしていった 気が知れてるのか 気が休まる 売店で食べ物を仕入れて来た 明日は本当に
食べ られないという事だ。 | |
○ 抗がん剤 1000cc 24時間 | |
○ その他 副作用防止 2時間 5本10時間 | |
○ AM10:00ごろ 放射線 | |
明日も続く | |
10月20日(火) |
朝6:10に目がさめた 体全体がだるい 感じがするのは 気のせいか 不整脈が踊ってきた 心臓の調子が気に |
かかる 今日は朝 胃カメラがあり その後24時間の点滴が始まる どうも具合が優れない どこも悪くないが 具合 | |
が悪い 朝 志賀さんと本道に手紙を書いた S がきた いやな顔を見 具合の悪さが一層増す 下村貫ちゃん夫婦 | |
がリハビリをかねて 来てくれる 色々話をしていく | |
○ 抗がん剤 1000cc | |
○ 他 3本 | |
○ 放射線 | |
10月21日(水) |
朝より 気分が良くない 朝食はゼロ 昨日部屋の方にもらった ヨーグルト一本 飲んだきり 抗がん剤が3本目 |
に入る 又今日も具合が悪いのか 大便がおとといの朝 最後に出ない それもあるか 昼前下剤をかける ウサギ | |
の糞ぐらい でた その後松崎俊ちゃんが来た 少し話しをし すしを持ってきたが 食べられず持ちかえってもらう | |
昼飯は半分ぐらい食べた 昨日よりは身体の調子は良い 6:00ごろ健ちゃん夫婦が来た 一時間ぐらい話をして | |
いった 山の話で楽しかった 又見舞いを持ってきた 睦ちゃんにTELして聞いてもらう 後7週の内 3日が終わった | |
だけ 又いやな明日が来る | |
○ 抗がん剤 1000cc | |
○ 他 2本 | |
○ 放射線 | |
10月22日(木) |
昨晩のトイレには まいった 5回もいった 寝不足である 朝浅間山に雪がきたとの事 寒い訳だ 昼食も駄目だ |
匂いをかいだだけで 食欲ゼロ 明日外出許可は出るが具合がどうか よければ帰るつもりだが 午後トイレで 目 | |
まいがする 心電図の24時間のテープをつける 食欲ゼロ どうしょうもない 明日の帰宅はダメだろう 具合が悪い | |
10月23日(金)
朝から具合がよくない 家にかえっても食べ物はだめだ 今日帰るのはやめる 明日にしよう 健ちゃんの持って | |
きてくれた バナナ1本食えただけ お昼ごろ心電図のテープがはずれた 抗がん剤も今日はずれた 身体の回復 | |
の点滴も今日2本 明日1本で2週間はずれる ホッとする あとは毎日放射線の治療である 昨日より具合が少し | |
でもいいのが助かる PM1:30点滴がとれた 自分の回復力をまつばかり 明日1本で今週は終わり どうも睦子が | |
かぜをひいているようだ | |
10月24日(土) | |
土曜日の朝は さわやかに迎えた 抗がん剤が切れたからと思う 朝点滴をして家に帰る予定 加々井が迎えに | |
くる ちょっと身体が重いが帰宅する 家に着き次第 仕事を2〜3人やらされる 夜中山夫婦がくる 山の話やら | |
で話がはずむ マツタケもだいぶ取れたようだ | |
10月25日(日) | |
食欲がだいぶ戻った 夕方には普通に食べられるようになった 仕事も少し手伝った 北沢君もぼちぼちなれて来た | |
ようだ 大分助かる 山岸には 迷惑をかけ申し訳なく思ってる | |
10月26日(月) | |
朝風呂にはいる 気分は最高 AM8:00病院へ出発 9:00前に着いた すぐ放射線の診断 治療 その後 | |
循環器へいき 不整脈の検査をする 食道癌が治ってからという事だそうだ 薬も少しは考えているようだ | |
昼すぎ 小林(ライブ)がくる まんがを持って来てくれた 丸山夫婦も来て花を持ってきてくれた 中沢夫婦も来た | |
さやかもまた いくらか綺麗になったか 4:00ごろ帰る 病院の飯も食べられる 抗がん剤がネックだ 今日は | |
つかれた まんがでも見て少し寝るか | |
10月27日(火) | |
睦子52歳の誕生日である ばばーーになったもんだ 朝少し肌寒い 調度良い気候だ 朝食もよく食べられる | |
向かいの市川さんが 昨日癌と確認されたようだ 抗癌剤で直すとの事たいへんだ となりの水無さんは少し | |
のあいだ切らないで 抗がん剤 放射線の治療を続けるそうだ これも大変だ 暇でこまる 臼田町を少し散策 | |
した 漫画もあきたし テレビも面白くない 何をしたらよいのか kzhと映子に手紙を書く | |
10月28日(水) | |
今週も終わりにちかずいたかと 思いや水曜とはまだ長い 日の立つのがこんなに長いとは 生まれて初めての |
経験だ 電子辞書がうまく動かない こんなんで毎日が終わってしまっては 無駄が多すぎるような気がする 何か | |
を考えて あと7週をすごさなくてはと思うのだが 何をしたら良いのやら 朝8:45回りは皆朝飯くらって 寝てる | |
なんという世界やら 午前は放射線のみ 午後臼田町散策にでた タクシーで100万ドル 5:30までやった 2万 | |
の稼ぎ 面白かった 週一回はうまくやりたいが!! 帰ってきたらKZHよりはがき 毎日はがきをくれ ありがたい | |
それにくらべ中沢は俺のだす手紙の意味が分かってない もうだすのはやめる 兄貴(紘一郎)がきたようだ 近く | |
で仕事をしているとの事 俺の癌の病気は仕事のついでのようなものなのか 本を持ってきた 読む気はしない | |
夜中山夫婦が来てくれた 1時間ぐらい色々話をしていった 面白かった やっぱ仲間は面白い 明日風呂へ | |
入っても良いとの事初めて風呂に入る 土曜のお昼ごろ帰宅できそうだ 優にでも来てもらうか と思ってる | |
猟の事も頭にうかぶ やはり殺生を楽しんでいるような 仲間はレベルが低いのか 性格が悪いのか 俺にあんなに | |
世話になり 犬までくれて だれも顔をださない 加々井はともかくとして こんなもんだろうか やはり早めにけじめ | |
をつける やくざの片割れみたいなもんだなんて 世間では 言われてるのを知らぬは 猟師ばかりである しかし | |
そうなれば 俺の結果もはっきりとして なお良い 俺が猟をやめれば 1年でも生延びる鹿が何頭 いるだ | |
ろうか | |
10月29日(木) | |
10月もぼちぼち終わりに近付いた 今年ほど医者に縁の会った事も無い 今日は1:00ごろ 風呂に入れそうだ | |
朝起きたとき 貧血をおこし 左目のしたをぶつける 結構つよくぶつかったようだ まだ痛む AM9:15看護婦 | |
さんの名前2〜3人覚えた 依田さん この方は美人そのもの まだ男にあまりふれられていないようで 尻も腰 | |
もくびれていない 年齢は30〜35ぐらいと思うが 意外に若かったりして 次は小嶋さん この方は22〜25歳 | |
ぐらい かわいいにつきる ちょっとトゲがある感じがする でも将来は有望である (美人として) もう一人 古家 | |
さん この人は武井のカーちゃんの言葉使いにそっくり 声がかんだかい 性格も 。。。。飯島さん この方は | |
やさしい 普通の主婦だ 言葉使いも 近所のあたりが良い 美人タイプではないが だれにも好かれると思う | |
少し足をひきづるとこが 母性本能をくすぐる PM1:00病院の風呂に入る 結構気分よかった ちょこちょこ | |
入る事にしよう | |
10月30日(金) | |
朝7:00に起きる 寝起きに採血にくる 糖の検査は寝起きが最高との事 昨日の目くらみで左目の下をぶつけた時 | |
首を後ろへ強くいったらしい 今日はムチウチで首がいたい 近所のカイロプラスチックへ 今日は外出予定 昨晩 | |
佐々木さんが血便を出したという事 輸血やら 何やらで大騒ぎをしたらしい 俺は睡眠薬を飲んで寝てしまい気が | |
付かず 明日の迎え優に頼む 午後1:30ごろ 100万ドルへいく 一昨日稼いだのも全部使ってきた 丸子より | |
ひどい設定だ 部屋へ今日より二人新しい人が来た 佐々木さんは重病のようで 二人部屋へ入った どうも昨日 | |
家族を呼んで大騒ぎをしたらしい 俺も昨日は寝言を言ったらしく 水無さんがメモしてあった 「そのちゃんと免許 | |
持っていったか」 といったらしい 誰の夢を見たのか 不思議 |
特別ページ | |
看護婦さん usui 中年 感じはとても良い ごく平凡な人だ 気楽に話もでき 対応もしてくれる | |
iida 中年そのもの 感じのいいかただ 生活がにじみ出ているのが ちょっと残念 | |
yoda 美人だ 体の線も崩れていない たぶん未婚かと思う 頭もよさそうだ すきがない | |
11・21小野さんより やはり未婚との事 この人あまり口をきかないが やはり美人 | |
ono 俺には一番早くなついた子だ 来年の春結婚するとか 女は強い 彼氏は32歳とか | |
udathaka とても感じのよい娘 美人タイプではないが 男を幸せにするタイプ だれが みても印象は | |
悪くない | |
10月31日(土) | |
今日で最後だ 早いもんだ 今年もあと2ヶ月だ 11時ごろ優がきて 帰る予定 3〜5日間 今回はゆっくりである | |
AM11:00優に迎えにきてもらう 12:00帰宅 | |
11月1日(日) | |
中山夫婦 中沢夫婦 など気をつかって 遊びにくる | |
11月2日(月) | 面白い話ばかり |
11月3日(火) | |
白鳥映雪の美術館を見学にいく 画家というものも 歳をすると 絵も老いていく 夜秘書の小泉氏にTEL もう残り | |
少なく売る絵は無いとのこと 白鳥映雪もこれまでか | |
山岸よりTEL 北沢君の事で睦子になにやら いろいろと 次の日TEL [とてもお役にたってます]何とか納得して | |
もらう 山岸には色々世話になりっぱなしである 健ちゃんやら 優にも話をしたが 山の仲間のことを少し今週は | |
書いてみようかと思う 又その日のことばかりでは なく これからの人生感をどうしたらよいのか 考える事ばかり | |
病院は3分の一終わったばかり | |
11月4日(水) | |
午前 血液を取り検査をしたようだ 放射線の治療で1日をすごす 大変暇である 飯がまずい どうも昨日あたり |
から うまくない 放射線の影響か 午後東部の親父たおれて入院したと 睦子よりTEL 2度目の時は意識を回復 | |
したそうだ 仕事が終わってから ようすを見にいくようだ 昨日 山岸と映子で話しをしたそうだ 人の事で涙をだして | |
お話をしたそうだ 本当にそんなことが あるのだろうか | |
友人 癌という病気になり 友人関係というものが はっきりとしてきた 何十年も付き合いをしていても たんなる |
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のし袋で終わる人もいる 事実俺もそうだった 俺の事を本当に考えてくれるのか だいたい身内が全滅 | |
だ 親を見させといて その後はポイである 確か内の親父がそうゆう教育をしたから 仕方ないと思う が | |
どうも俺としては納得がいかない 貴光 文朋 亜企子 この三人もたいして親を親と見てない 人間なんて | |
こんなものなのか 睦子は仕方無いだろう 妻であるからな。。。。 | |
川上貴光 現在のところ 素直な性格と思う 彼女によって左右されるのが 気になるところ 親を見る目は さほど |
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深く考えていない 若いせいか仕事は仕方なくしている感じ でも何とか今のとこものになりそう | |
H 10.11.4 現在 | |
川上文朋 TELしか 話した事がないので 今のところ 腹の底はわからぬ | |
11月5日(木) | |
昨日の東部の親父がどんなかと思い朝よりTEL 仕事が忙しく病院へいけなかったとの事 今日午後でも外出して | |
様子をみに行って来るかと思う が 睦子にTELして見てからにする 朝食がまずい 放射線の関係はなにもないが | |
少し食道がつまる感じがする AM11:25 食欲ゼロ 信毎の生活雑記がぼつななったので 今日もう一度書き直して | |
見ようかとおもうが ナカナカいいアイディアが浮かばない 下村貫二夫婦が来てくれた 申し訳ない テレカード2枚 | |
持って来てくれた 前に圭三さんも1枚持ってきてくれた | |
夕食 やはり美味くない どうも極端に食欲の低下である 具合が悪いと 何もする気がない | |
11月6日(金) |
朝久々に小山先生がきた 具合はあまりよくないが 先生の言葉を聞いて 気力が出てきた 16日から抗癌剤 |
終了後21日以後通院で良いとの事だ 睦子よりTEL親父はまずまずとの事だ 明日かあさって見舞いにいく | |
予定だ 東部からは親戚付き合いをしてもらってないが 俺の方は親戚付き合いはちゃんとすべきと思う 人間 | |
病気になってみれば 人間がわかる 昼前優よりTEL そばを打てとのこと しんそばを粉にしたらしい 明日 | |
はそばを食べるか ついでに病院の昼も そばにしてくれとたのんだ 夕方5:00前 姉が正徳さんときた 身内 | |
では初めてのお出ましだ 少しは皮肉をいったが あまり言うのは止めた 癌との戦いも終わりに近ずいたと思う | |
中間よりは 最後のつぶし と思う 俺の体からは たぶん癌細胞は消えたと思う 9日からの検査が楽しみだ | |
11月7日(土) |
朝 具合はまずまずである 外は曇り 放射線をすませ 帰宅の予定 帰宅 店はあまり忙しくないようだ 夜 |
中山氏がきた 食べ物は家の方が 何を食べてもうまい | |
11月8日(日) |
日曜 朝から家の者に じゃけにされる 山のやつが 犬のマーカーをいとも簡単に持っていく 趣味をやめる |
のも えらい損害だ 柿もちいさい柿はやはり だめだ 大きい物の良い柿を選ばぬと | |
11月9日(月) |
朝お金の支払いで 役場にいく まとめて請求した方が楽らしいので そうする |
am11:00ごろ病院につく すぐ肺活量の検査をする pm1:00ごろCTの検査をする 明日は何なのか 寺島健二 | |
洋子さんがきた その後山越がえらく くだものやら見舞いを持ってきた 組合の役員も小山 寺島 堀内 成沢 | |
西沢 と この部屋でさわいでたら 市川のじいさんがうるさいという事で 談話室へ移動する 人のときは我慢せず | |
自分のことばかり 考えるじいさんだ 俺の具合はまずまずである 山のことも昨日 加々井と話したが 加々井は | |
やめる気はないようだ いやな者が俺の家の周りをうろつく それも来年の春までであるから ま我慢できる 夕方 | |
入院金を支払う 247,630円也 KZHより手紙が来ていた Eはつまらぬ女だ 2通もだして 返事もこない | |
俺の暇をつぶしてほしいのに それがわからぬ人だ だめな人間ばかりだ 夕方竹内が来た 今日は酒飲み会 | |
だという 組合の見舞いを持ってきた PM9:00寝る | |
11月10日(木) |
朝より具合は最高によい 外の天気も良い 今日一日の仕事は 採血のみ 文朋がくるらしい 又一日暇な日をすごす |
AM10:20友利先生がきて 明日は内視鏡 13日はバリュウムということらしい 午後臼田町へ遊びにでかけた | |
その間に純夫 トキエ 紀久子 が見舞いに見えたようだ その間に俺がかえってきて 文朋がきた 元気でやってる | |
ようだ また純夫ら三人が来た いろいろ話しをしたが つまらぬ事を話した 兄弟はさめると つまらぬものだ 見舞い | |
も 1万円持ってきただけ 若いころ俺があんなに犠牲になっても 本人らはぜんぜんわからぬ いつかはわからぬ | |
ものか 文朋は相変わらず二枚目だ ああいう男は 女に失敗しそうだ 心臓のエコーをとった 夕方 | |
11月11日(木) | |
髪の毛の抜けが少し多い様な気がする 朝より気分が良い 胸が少し痛みというか 放射線の影響と思う 今日 | |
内視鏡の検査だ 午前中は眠りにふけている むだな一日だ お昼ごろ内視鏡の検査に行く 麻酔が少し効きすぎて | |
かえって2時間ぐらい寝る 小山先生の話だと 順調に良くなっている と言う事だが 俺には良くわからぬ 又のちほど | |
説明に来てくれるとのことだ 明日バリュウムの通しの検査 8:15より 11日7:30中山夫婦がきた バナナと | |
花を持ってきてくれた まこと申し訳ない 色々世話になり 本当に申し訳ない気分だ | |
ねずみ大根(げきから) | |
あからしや (妻籠から来ている 大塚さんの病名) | |
11月12日(金) | |
朝 気分良く目がさめる 朝から髭をそる馬鹿がいて 迷惑ある AM8:15通しの検査 バリュウムを飲んで食道 |
の流れをみる その結果を小山先生より聞いて帰宅予定 12:40小山先生と話をする 順調との事 これより昼飯 | |
を食べ帰宅 臼田の100万ドルへよる 夕方4:00ごろまで 少し取り返した 夜寺島健ちゃんが アイロンパーマ | |
貴光のモデルになってくれた その後中沢夫婦も来た だれが連絡するのやら よく知っている 12:00ごろ帰る | |
11月13日(土) | |
中山夫婦が来てゆっくりと雑談をしていく 畑をやってくれるとの事 あまり迷惑を掛けられない その後山岸夫婦 | |
が来る 色々話をした が 同じ事ばかり | |
11月14日(日) | 中山氏夫婦 畑の大根 いもを掘ってくれる 申し訳ないが 甘えてしまおう 睦子は何もしない 夜100万ドル |
入れ替えで いくらか うく | |
11月15日(月) | |
朝より昨日のいもをほす あと100万ドル 新台入れ替えのせいかいくらかうく PM2:00家を出 病院へ 3:00 | |
前につく 11月24日の退院を目標にがまんしよう 明日より魔の抗癌剤が始まる 3:30ごろ点滴の管を入れる | |
友利先生が今度はした いたく肩にきてしまい たいへんだ 今もいたい 何か神経がさわってるらしい 4日間 | |
だから がまんしよう | |
11月16日(火) | |
堀内けんめい氏が丸子町長に当選したそうだ 点滴の入り口が神経に当っていて 肩が痛くてたまらん 朝から抗がん剤 | |
放射線の治療がはじまった 4〜6日のがまん 小山先生がお昼頃回診に見えた 結果の写真をくれるそうだ 貴が | |
きたらしいが 俺が寝ている間に措いて帰ってしまった 気の利かぬ息子だ 夕方より睦子からTEL鹿を捕ったとか | |
加々井が捕ったとか 色々の話をしてくれる 本日より抗癌剤が入っているため 断ってくれればいいものを 松田が | |
パーマ掛かってないという テンションが弱かったか 俊男君が岸病院で診察を受けるとの事 手遅れでなければ | |
よいが もう山の事は結論をだしたつもりである でも迷ってるのが本音 明日野辺山の大井さんが退院だそうだ | |
あまり具合が良くないが 家で治療するようだ 6:00ごろ 蟹窪の小林さんが夫婦できてくれた ヤクルト ヨーグルト | |
を持って来てくれた 薬をもらいに来たとの事 | |
11月17日(水) | |
朝具合がすぐれない 抗癌剤のせいか 肩もいたい シップをはる 今日の夕方より山場が4日続くかと思う 昨晩 | |
よりシャックリがとまらん 薬をお願いして のまにゃ止まらん 昼飯は駄目 バナナ1本のみ いつもよりダメージが |
早い 13:10睦子より TEL 優の親父が死んだとの事 もう少し長く生きてくれれば 色々手伝いもできたのに | |
残念である ご冥福をお祈りしたい 思い出でいっぱいの親父であった 夕方高野花店に枕花を届けさせる 夕食 | |
は半分ぐらい むりして食べた | |
11月18日(木) | |
昨日は風邪もからんだのか よく寝た日だ 夜も星を見るかと思ったが 見えずに終った 朝具合は昨日よりは |
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ましだ このだるいのは 食べ物の少なさかと思う でも抗がん剤が終るまでは 食べ物は気をつけた方がよい | |
昨日Eから手紙がきた 俺に怒られ仕方なく 書いたものだろう 可愛そうに 内容を見れば わかる でも | |
気持ちは買わないと なにせ学校の先生の娘だからな〜 KZHのはがきに「できるだけ 多くの時間 自分を | |
ご機嫌にしてください ナ−パスにならぬ ように」 とこんな 退院終わりになんとかしたい 自分を殺して 俺に | |
出来ぬことはない 人の悪口も言わないように なにせ 本日は具合が最悪である だるい 眠い まったく | |
今日で3本目である あと1本頑張るしかない | |
11月19日(金) | |
朝より気分はまずまず 昨晩夜中に めまいがして 看護婦に迷惑をかける 放射線室で写真をとってもらう |
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退院まで あと4日ぐらいだ もう2度と無いと思う 入院生活 いやこの世の世紀末にあると思う 入院生活で | |
楽しかった事 何も無し この毎日の記帳にも 癌のことが書いてない 本当におれは 癌だったのだろうか | |
友人も見た | |
家族も見た | |
親戚も見た | |
KZHの事をもう一度かみ締めたい | |
24日の日は中田和尚の所へよって 説教を聞いて見たい 夜睦子 貴光 亜企子 3人がそろって見舞いに来た | |
初めての事だ PM9:30ごろ帰っていった もうすぐ俺も帰るので 家も安定すると思う | |
11月20日(土) | |
もう少しで点滴もとれる 朝の気分は余りよくないが 抗がん剤が外れるという事で気分がよい 昨晩内のお客さん |
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の妹さんのだんな44歳の方が ここで亡くなったとの事 健康にはきを付けなければならぬ AM11:30点滴の線 | |
がはずれた 抗がん剤も終った あと放射線2週で 治療は終わりだ 足の裏やら あかだらけ 気持ち悪い KZH | |
にでも 手紙をだすか やめた 午後睦子よりTEL 俊男君の検査でポリープを2つとって 本日は入院との | |
11月21日(日) |
今日より3日間やる事無し 身体の調子も今日は戻ると思う ま 何とか日をすごすか 依田さんが 朝7:16 |
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さわやかな声を出している この方はまだ未婚である 子供も居ないと思う 退院までに 確認 具合はまずまず | |
完全とはいかないが このくらいなら 良しとしなければ 身体が調子良くなると 山をやりたくなるなー いったん | |
辞めたと 宣言したが どうもあの面白さは なんとも言えんからなーー もうちょっと ゆっくりと考えるか 仲間 | |
の悪さがいかん あれが解消できれば 言いとおもうんだけどなー | |
11月22日(月) | |
午後 市川さんの頭を丸坊主にする その後パチンコ屋へ 具合が悪いせいか 体が集中できずに だめだ 帰り |
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がけに 臼田のとこやへより シャンプー 顔そり をしてもらった 他人のとこで仕事をしてもらうと 色々な欠点が | |
きがつく たった3200円だけど 貴重な経験をした (サイエンス)池田君と同じ化粧品を使っていた レザーは | |
一回ぞリして そりこん ソープを手でつけるのは 余りよくない 威圧感があるなど 色々 家に帰り反省をする | |
明日具合がよければ あと三晩で病院ともさよなら 通院のがらくだ 望月署の久保氏より見舞いが届いてた 俺の | |
家にでもいって 聞いたか PM5:50琴錦が優勝した UHDCのメンバーに一言 長いつきいは友情を深める | |
親睦のためにもある団体な訳だ 只仕事のタメのみである 団体とは また一味違うと思う 人の命が掛かってるときに | |
よく忘年会など出来たもんだ 新年会の退院してからやるとか やり方がありそうなもんだ 又Nの「くやしさをバネに」 | |
本人は名文句を考えたつもりが 最悪の言葉である 俺は根が深い が 退院後はよく考えねば ならぬ | |
11月23日(火) | |
具合がよい 胃の調子がどんなもんか あまり入らないとは思うが 外は天気その物 晴れ 朝より小山先生が巡回 |
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に回って来た 子供さんが 8:00〜何かあるそうで 忙しく回ってきた 退院の件 採血して 結果が出次第という事 | |
今日は外出許可がOK 今からまとめて 家に帰るか もう退院と同じである | |
人間とは愚かなもんだ 退院できる この喜びで 2ヶ月の入院生活など 完全に忘れた 書くことも忘れた やはり | |
書くこと自体 好きではないのだろう 結局この場でまとめるしかない | |
11月25日(木) | |
お昼ごろ無事退院する事ができた 放射線は 外来で10日間ということである 12・7ころ最終検査 無事クリアー |
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入院日は 27万ぐらい 総額55万ぐらいかかった 組合の協栄生命から100万おりた 少しのたしになったか | |
見舞いは 友人 となり など親しい人たちよりかなり の見舞いを頂いた まことに申し訳なく思う | |
爆弾を担いでいる 俺ではあるが なんとか一日でも長く 生き延びたい。。。。。。。。 | |
後記 |
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なにがなんだか解らんうちに この内科の2ヶ月の入院が終った この後春の検査にて 再発 。。6月より | |
おいおいと まとめますのでまた ここえ出かけて読んでみてください なにかご意見がありましたら 下記掲示板 | |
に書き込んでいってください 私にできることで あれば ケアーの相談にものります。。 | |
:30 CT レントゲン 24時間の心電図計測器をつける 今日はこれで終わり 店舗改装 左官屋さん | ||
75万をつけてきたとか これは400万こえるな 今日も暇な日であった 食い物がまずい 体を動かさ |
ない事が原因だ 睦子がよくTELよこす。 | ||
5月26日(水) | ||
朝6:20に起きる 寝起きに採血に来た 2ccづつ5本取っていった 今日も検査がつづく 朝より |
呼吸の検査 6通り 耳より血のとまる時間の検査をする 今日はこれで終わり あと内視鏡と腸の検査 | ||
のみ 午後家に帰宅 店の前はレンガがつまれ 綺麗になった 掃除が行き届いてない 31日に大 | ||
工さんがゲアを出しに来る予定 あと塗装のみだ 夜中山夫婦が来た 12:00ごろまで 話をしてい |
く 金曜の都甲先生の説明に仕事を休んで 来てくれるとか 申し訳ない。。 | ||
5月27日(木) |
朝6:40に家を出る 病院へ7:30につく さっそく下剤 8:30より通しの検査 都甲先生つきっきり |
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でした 小さくて見つけるに大変のようだった それでも敵は 癌 手術をしなければならぬ どこも とん | ||
でいないようだ それだけが心配だったが 今の所いいようだ 睦子へTEL 山岸より 昨日のことで | ||
若い子をまわしてくれる との事 メロンの苗もきて 加々井に連絡せよとの事 トマトも順調のようだ | ||
今日はこれで暇だ 3時ごろ 看護婦さんがきて 明日の検査は 内視鏡と内視鏡音波とやらの検査 | ||
で 終わりとの事 麻酔を打ってやると思う 明日の夜帰り 31日まで外出の許可が出そう | ||
5月28日(金) | ||
朝5:30に起きる 周りはごそごそしている 今日は結果が出る日である 昨日の都甲先生の今のと | ||
ころ とんではいない の一言は安心する 今日の検査は麻酔をかけ 内視鏡 超音波内視である 夜 | ||
は家に帰る予定 すき焼きが食いたい 昼前色々と手術の説明(用意するもの) | ||
5月29日(土) | ||
昨日帰る予定が 検査一つ残していたため今日となる 昨日は 胃〜食道の内視鏡のさい 麻酔を | ||
よくきかしてくれ 人の4倍も薬を入れたそうだ そのおかげで 睦子やら貴光やら健ちゃんが おぼろ | ||
かげ でしかみえず申し訳なかった 夜もゆっくりと眠れた 検査結果は 転移もなく 思ったとうりと言う | ||
事だ あんな小さくても 手術しか手がないという事である 仕方ない これも俺の生きざまである | ||
エコーの検査終了次第帰宅 | ||
5月30日(日) | ||
31日(月) | 帰宅 | |
6月1日(火) | ||
朝8:30病院につく 今日は色々ありそう 昼より下剤がかかる 0:45ごろ麻酔科の先生より説明 | ||
がある 明日AM8:00には 筋肉注射があるようだ 8:45には 手術室へ行くとの事 こうなれば | ||
だせいで行くしかない 陰毛をすられ ひりひりしてかなわぬ 手術後は部屋も変わるようだ 夜には | ||
手術前 最後の手記でも書く事にする 夕方より不整脈がでて 下剤の効きすぎ 書く状態になし | ||
6月2日(水) | ||
いよいよ本日である 身体はまずまずのコンディションと思う 成功を祈りたい 都甲先生の腕次第 | ||
である 又友人 家族に感謝したい 協力してくれる方々に本当にお礼をいいたい | ||
それでは AM 5:18 | ||
6月8日(火) | ||
今日で 手術後一週間である | ||
6/2 AM:8:00腕に筋肉注射をする 頭がボーとした 家族全員の顔が見れた 中山夫婦も仕事を | ||
休んで駆けつけてくれた | ||
AM8:30手術室までの 案内ベットがくる 先ほどの注射で気分が悪くなり 早めに乗り 寝ころ | ||
んだ 部屋の方々みんな 見送ってくれた | ||
AM8:48部屋を出た エレベータにのり 2階手術室へ 家族 中山夫婦の見送りで ジャーナ | ||
−で入っていく なかなか広い部屋というか 廊下をいくつもぬけ 俺の手術室へついた 麻酔科 | ||
の先生が 一番早く話しかけ 背中へ 一本 又一本と麻酔の管を入れる 話をしっとうしである | ||
話が途切れると 「川上さん 話をもっとしてください と要求された」 三本目が入り終わる頃 何 | ||
も見えなくなった.............. | ||
記憶が出てきたのは 夢からだった 夢を見ながら気がついた その夢は 山の猟の夢であった | ||
それから「川上さん終りましたよ」の言葉で周りが解ってきた 又同じような天井を通り帰っている | ||
ようだ 家族が来てくれていた 睦子 貴 文 亜企 中山夫婦 姉 加々井 ら まこと 貴重な | ||
一日をつぶさせた 中沢夫婦もいた | ||
6/3 朝より麻酔の影響で 身体全体まったく動かない 酸素吸入の関係で目の回り 鼻の回りが か | ||
(木) ゆい そのたびにブザーを押し看護婦さんにかいてもらう ガーゼも2時間置きぐらいに 取り替 | ||
たようだ 一日中 体全く動かず | ||
6/4 朝から 体が動く 痛みもない 快調である 中山夫婦 池内 文 面会にくる | ||
(金) | ||
6/5 今日もうそみたいに 快調だ 痛みもさほどない 都甲先生が 「こんな早くの回復は見たことない |
(土) 」 とお世辞を言ってた 紀久子 純夫 トキ江 が面会にくる | ||
6/6 朝より調子はさほど よくない 冷房が効きすぎて 寒くて仕方ない 午後 紘一郎 美恵 が | ||
面会にくる しらじらしく来た 文も一緒にいた 3時頃何かの薬の関係で 体が身動きとれなく | ||
なった 9時頃回復 | ||
6/7 今日も空調の調整が悪く寒い 午後ICUをで 6階へうつる ICUの看護婦さん達 | ||
(月) みな 若くはきはきと 活発な人達ばかり 平均年齢も 25歳とか なにせ若い 元気がよけれ | ||
ば面白かったが なにせ体が動かぬ | ||
武田さん 手術前日にICUを説明にきた方 とても美人で若々しい | ||
あと記憶に残る 美人看護婦さんがいたが 2〜3人どうしても 名前が出てこない | ||
大井さんに送ってもらい 睦子と病室 面会謝絶の部屋につく 知ってる看護婦さん 何人かが | ||
手をふって歓迎してくれた 頭を洗ってもらい(睦子に)気分は最高 体は動かず 同じ日に胃を | ||
切った東部の柳沢さんが 早速部屋にきて 話をしていった あと一週間だ これを乗り越えれば | ||
ICU 何かものごとを考え込みたい 気が全くない 自分の身体の不自由さに あきれる 体を | ||
元に戻す事だけを考えた 5日間 いたみ も 何もすべて こらえた | ||
6月8日(火) | ||
PM4:45 少しまとめてみたが わすれちゃって わからぬ事ばかり 体を直す事に集中してるもんで | ||
他のことは 考えない様にしている 最中に都甲先生がきた 首をかしげていた これは何の首をかし | ||
げたのか 俺がベッドからおりて これを書いている事が不思議なのか わからぬ そのあと麻酔科の | ||
今井先生がきた 握手から 話が始まった 涙が出そうになったがこらえた 「又その内手紙などかか | ||
せてもらいます」 と言うことを伝えた どうも 肺の機能が悪いようだ 午後より 睦子が来て9時ごろ | ||
までいた 心配なんだろう | ||
6月9日(水) |
先週の水曜に手術をし 一週間がすぎた 昨晩はいたみがあり眠れなかった どうも痛み止めの | ||
薬が終わりになったようだ これからはいたければ 座薬のみ 朝座薬をいれてもらい おさまる(いた | ||
み) 午前6F大井グループの検診 都甲 植松 大井 3人の先生がきた いたみ止めの 管をぬいた | ||
傷も順調との事 半分抜糸した 明日は全部抜くそうだ 肺の調子がよくないので レントゲンを撮るそ | ||
うだ AM10:00すぎ 山岸 中沢へTELをしておく 武井さん夫婦が来てくれた あのカーちゃんも | ||
病院では 声を小さくはなしていた 10分ばかり で帰っていった 昼は傷の痛みがすくない 何とか | ||
がまん出来る 範囲だ 午後都甲先生がレントゲンの結果を言いに来た 胃がふくれていて 肺を圧迫 | ||
しているそうだ ドレインで胃液と空気を抜いた 少し楽になる かと思ったら 胃のドレインをそのまま | ||
明日の朝までおいてくれ との事なおさら苦しくなる 9時すぎ睦子が来た 少し話しをして帰る 又夜は | ||
眠れぬと思う 座薬で痛み止めまではよかったのだが 睡眠薬をいれてくれず 3時まで 少し寝る | ||
だけ 3時に入れてもらい 6時ごろまで 寝た | ||
6月10日(木) | ||
朝8:20 レントゲンの通しの検査にいく すべてが 順調のようだが 胃の出口動きがにぶいのが | ||
ネックである 今日より 水2〜3杯のんでも良いとの事 明日はおもゆ あさっては 三分がゆ と毎日 | ||
よくなっていく パターンである しかし胃の出口が問題を起こしている | ||
午後竹花俊彦さんが見舞いにきてくれる 20分ぐらい話をしていった 息ぐるしく大変である 傷口 | ||
すべてOKであるが 肺の機能のみ | ||
6/10 6/11 6/12 6/13 6/14 6/15 6/16 6/17 6/18 6/19 6/20 | ||
ミズ オモユ 3ブガユ 5ブガユ フツウ テンテキハズス ジュツゴ2シユ フロ | ||
6/21 6/22 6/23 6/24 6/25 6/26 6/27 6/28 | ||
ジュツゴ3シユ タンイン タンイン | ||
夜おそく 睦子がきて 話をしていった | ||
6月11日(金) | ||
術後9日目である 朝から体が重い 昨日の晩はよかった 肺の機能も又もどってしまった 胃の働き | ||
が悪いのが ちょっと大変だ 今日よりおもゆがでた 半熟たまご!!簡単に食べられたが喉の通り | ||
が悪い ま どうなる事やら 午後レントゲンをとる やはり胃から抜けていかないようだ これでは肺に | ||
負担がかかるのは当たり前 と言う事で 夕食より 絶食 水のみと言う事である 夕方37.7°cの | ||
体温 夕方より 水もだめ 具合悪い | ||
6月12日(土) | ||
昨晩はいくらか眠れた 睦子も毎日来てくれて ありがたい が事故でも起こせばこまるので ぼち | ||
ぼちで良いと言う 今日は通しのレントゲン の検査をする 熱もなくコンディションは良い あと胃の | ||
動きだけ 都甲 植松両先生がもう大丈夫といってくれる 来週の火曜にカメラを入れて 胃の出口を | ||
広くするとか 午前の診断で背中に水がたまっていて すごかった 先生に言わせると 一リットル | ||
ぐらいとの事 | ||
6/12 13 6/14 6/15 | ||
水のみ 内視鏡にて胃の出口をふくらます 順調にいけばここから おもゆ | ||
体重76.6キロ 2キロへった 最終には10キロは減るとの事 | ||
夕方中山夫婦 池内夫婦が来た 7:30ごろまで話をしていった 体のコンディションが最高であれば | ||
面白いのだが どうも調子よくなく悪い気がする その後加々井がくる みな気をつかって来てくれ | ||
申し訳ない 生涯忘れてはならぬ事である 野球をみて床につく | ||
6月13日(日) | ||
朝より調子はまずまず 昨晩眠れたせいもあるか 何とか一日がもちそうだ 胃のほうも昨日より | ||
は 腹がゴロゴロないているので よいのではないかと思う 午前宮本先生の診察あり 前松崎俊ちゃ | ||
んが見舞いにきてくれた 全く申し訳ない 午後姉が来た 正徳氏と良子はまだ子供うまれそうにない | ||
との事 昨日加々井がきて 色々と俺の悪口を言ってたそうだ 結構長い時間いた 帰ったあと 掛川 | ||
夫婦が来てくれた 掛が夫婦でくるなんて めずらしいもんだ ゆっくりと話をして言った 今日は微熱 | ||
があり 頭がすっきりしない 少し肌寒い ような気も 熱のせいか | ||
6月14日(月) | ||
朝熱はひいたようだ 月曜という事で 床屋さんが大勢いきた 午前山岸夫婦 鈴木 昼ごろ | ||
西川 PM1:30ごろ 寺島光治夫婦 2:00 寺島健二夫婦 4:00すぎ 睦子 映子 優 貴光 と | ||
その後 宮下拓也 母と 人と合うだけで つかれて話をするのも いやになる 夜はテレビでも見て | ||
ゆっくりと寝る事にする | ||
6月15日(火) |
朝熱はない 体のコンディションもあまり良いとはいえない 午前中より 学生の丸山さんが 2週間 | ||
つききっりという事だ シャンプーをしてもらう 少しコツを教える お昼ごろ胃の出口をカメラを入れて | ||
広げた ものすごい苦しさである せきが出 腹はいたい 少し熱が出ているようだ これでうまく 胃の | ||
調子がよければ良いが 夕食より重湯がでるそうだ 又だめなら 来週の火曜とか駄目になるにつけ | ||
一週間の入院がのびていく | ||
6月16日(水) | ||
重湯も何とか 飲みこめている 今日の夕方より 三分かゆだそうだ ここまでクリアできれば 順調 | ||
に行くと思う 午後より7°2分微熱が出てきた 少し具合が悪いか 学生の丸山ちゃんが足をあらった | ||
り つききりで世話をして くれる 19歳とか 亜企子もこのくらい すなおなら良いが 昨日マッサージ | ||
を教えた さっそく練習をしたらしく 俺の肩へ2〜3回してくれた 毎日肩はきもちが良い | ||
学生相手で少し疲れる | ||
6月17日(木) | ||
昨日睦子はこなかった 従業員のつとむ君とやらが来たとか 俺に近々あいさつにくるとか 昨晩は | ||
久々によく眠れた 今日も午後は微熱がでそう 点滴の量を減らしてくれるとの事 小水でトイレ通いが | ||
大変でたまらん 腹もすかんし 便は 昨日食べたものが 下へ落ちている ぼちぼち良くなると思う | ||
夜 中山夫婦 睦子が来て話しをしていく | ||
6月18日(金) | ||
熱のない日は 朝かららくである 午後になって出なければ良いが 少しせきが出る 今日は大井 | ||
先生が始めて病室へ来た 食道の手術も三通りあり と話していった 俺のは元の位置に納める方法 | ||
だとか 少し今日 肌寒くてかなわない ここへきて 暑いという日が一日もない 体のせいか なおる | ||
には 手間のかかる事だ 夜中沢夫婦が見舞いとまんがを持ってきてくれた 9:30ごろまでいて 帰る | ||
6月19日(土) | ||
朝4:00ごろより 背中のきずがうずく 少し息ぐるしさもある 胃が又ふくらんでいるのか 朝優 打江 | ||
さんにTEL 二人ともつかまらず 又長い一日がつづく 朝のうちに優に連絡がつく 店の玄関の上の | ||
色の話をする 午後より 食欲 ゼロである 胃がまんたんのようである | ||
6月20日(日) | ||
今日は熱はない が 胃の具合がよくない 火曜の日にカメラでふくらまさないと 駄目かもしれない | ||
呼吸も苦しい 昼前高原さんがわざわざ きてくれた 少し話しをして帰る 午後山下夫婦 丸山夫婦 | ||
下村栄ちゃん 小島泰さん 三井初ちゃん 今井夫婦 植松夫婦 と少し疲れきみである みな気を | ||
つかって申し訳ない 優がTELよこせ ということ トマトがひょろ付いてこまると 素人はなかなか | ||
難しいとおもう 少しづつの肥料ののつみかさねが必要なのだが 睦子が8:00ごろまでいて帰る 病 | ||
院生活に嫌気がしてこまる 話をする | ||
6月21日(月) | ||
朝より熱はない 丸山ちゃんが戻ってきた 午前シャンプーをしてもらう 午後 石塚がきた いろいろ | ||
話をして帰る 胃の調子はいまいち 2時すぎ 山岸夫婦が様子を見に寄ってくれた 山越も来たが | ||
すぐ帰った やつの癖か 4時すぎ 丸山夫婦が来た 礼子ばーさんは少し太りめ 5時すぎ帰る 色々 | ||
話をする | ||
6月22日(火) | ||
朝は調子がよかったが 午後はすぐれない 都甲先生が学会より帰ってきた 明日内視鏡で胃の穴 | ||
を大きくしてくれるとの事 49歳最後の日である 最悪の49歳 不整脈 食道癌 2回の入院 手術 | ||
50歳以後 何とか病気だけはさけたい 最悪の49歳もやっとおわり 何とか道を開きたい 明るく | ||
楽しく 愚痴をいわず しかし どうも今年の猟は駄目かも しれない 4〜5ヶ月では 回復は無理と | ||
思う 又来年がある 許可だけ 取っておき 来年に掛けるか 花造りも縮小 しないと 今度だけ | ||
は駄目だ 数をしぼり 最小にして やろうと思う 畑も少なく考えねば ならん | ||
6月23日(水) | ||
50歳の旅たちである なんとか 病気からのがれたい それ次第で 生きられるか 死ぬか 朝より | ||
調子はよい シャワーを浴びた 22日ぶりだ 気持ちが良かった 昼胃の出口を広げた この苦しみは | ||
誰にもわからぬ くるしいいーの一言 その後 微熱が出 水まくらで 寝込む 昼前 保屋野さん 板 | ||
金屋が来た 山の話を色々する 犬の写真も持ってきた まずまずの犬かもしれない これからが楽し | ||
み 夕食もとれず テレビでも見て寝る予定 睦子が来るとか | ||
6月24日(木) | ||
今日の昼より 五分かゆ うまく食事がとれれば良いが 不安である 昼前 田中みさえちゃんが来た |
検査の帰りとかで 少し話しをしていった 夕方兄貴夫婦が来て話しをしていった 今日は学生さんに | ||
シャンプーを教えてやった 教える最中に看護婦さんやら いっぱい 十数人が集まって 見ていた | ||
6月25日(金) | ||
朝シャワーを浴びる 気持ちが良い せきが結構出て 邪魔だ 夜遅く睦子が来た | ||
6月26日(土) | ||
朝より 肺がざわざわして気持ちがわるい たんがからんでいる との事 少し息苦しい 明日の帰宅 | ||
の許可がでる 昼ごろより 632号室より 628号室へ部屋をうつす 6人部屋だが 本日は帰宅やら | ||
退院やらで 俺一人しかいない 増田 武石 和田の増田 2人で見舞いに来てくれる 樋口さんも来て | ||
くれた | ||
6月27日(日) | ||
約25日ぶりの帰宅である 優にPM1:00に向かえに来てもらう 家につき 色々みたが 何かやる | ||
気はない 仕事をやらせられた 中山夫婦 池内 その後加々井が9:00ごろまでいる | ||
6月28日(月) | ||
朝商工会へいく 源泉をした その後犬を見に板金屋へ乗川氏 保屋野氏 宮原と鉄砲の話ばかり | ||
犬もまずまずの子と思う PM1:00すぎ 病院へもどる | ||
採血 レントゲン 点滴 と忙しい 丸山ちゃんが明日で最後 ちょっと寂しい気もする 点滴も明日で | ||
最後との事 明日朝より七部かゆという 何とかのりきって 退院までもっていきたい 6人部屋は | ||
PM9:00になると 皆寝る 最悪 | ||
6月29日(火) | ||
朝から調子は良い 学生さん今日で終わりだ よく遣ってもらって大変助かった 点滴も今日で | ||
終わり 食事がうまくいけばよいが 都甲先生が退院を匂わせていた 背中がいたくて 退院には まだ | ||
まだ と思うが。。。 | ||
6月30日(水) |
6月最後である 都甲先生が 退院しても良いとの事 こんなんで無理と思うが 午後階段を上った | ||
ら不整脈がでて 具合が悪い まだまだ運動は無理である 前の丸山さんのいびきで 夜眠れず | ||
7月1日(木) | ||
朝より調子は良い 午後急に思いつき外泊する 月曜まで | ||
7月2日(金) | ||
7月3日(土) | 家につき 仕事をしたり 畑を見たり 寝ている訳にはいかない 体は回復すると思う | |
7月4日(日) | ||
7月5日(月) | ||
11時ころ 病院につく 睦子が口腔外科へかかった 都合で早くきた | ||
午後栄養指導を受けた よく寝た | ||
7月6日(火) | ||
植松先生と話をする もう一度カメラを入れて入り口を広げないと駄目かもしれない 退院は来週 | ||
する予定 ベッドを窓際へ持ってきた やっと明るいとこへきた 午後睦子 映子 洋子 さんがきた | ||
急にきて 驚く 第一月 火 で休みだったようだ 俺は暇でこまる | ||
7月7日(水) | ||
朝より調子はよい 食欲がない 金曜に喉を広げる 予定 情況をみて 下の方も広げるみたいだ | ||
月曜日 12日午後退院の予定 | ||
7月8日(木) | ||
今日もする事なし 一日中暇である 今夜のみで病院生活も おさらばと思えばがまんも出来る 夜 | ||
少し寝付きが悪い 下村義樹さんが見舞いに来てくれた | ||
7月9日(金) |
今日は内視鏡で胃の入り口 出口を広げてもらう ものすごく苦しいけど 仕方ない | ||
入院生活も 今度こそは 終止符を打ちたい | ||
7月10日(土) | ||
7月11日(日) | 帰宅 | |
7月12日(月) | お昼ごろ退院のため 病院へ すぐ退院 | |
やっと全部の記録を編集しました 手術は100針をぬう 9時間半の大手術でした でも人間は強い | ||
もので 日に日に回復していく様子がわかりました 私のこの病気に あたたかく見守ってくれた 先生 | ||
友人 近所の皆さんに感謝してもしきれません | ||
現在2年半が過ぎようとしてますが ここが一番転移の境目なんです 気をつけても 気をつけようが | ||
ないのが この病気。。 今年も狩猟におわれ のびのびと 遊んでます。 | ||
山に川に自然満載の 当地丸子にも 遊びにお出かけください。 | ||
何かご意見感想 なんでも掲示板に書き込んでください。 | ||
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